2024-09-16

読んだ本,「大転生時代」(島田雅彦)

 島田雅彦の新刊「大転生時代」(文藝春秋)読了。生涯読者(?)なので新刊が出れば速攻で入手。単行本で読みたいので文芸誌で連載中はぐっとこらえる。そして通読して,ああ,これぞ待ちかねていたのだと感激する…はずなのだが,今作はちょっと戸惑う読後となった。

 「転生」とか「生まれ変わり」のテーマは昨今のライトノベルやSFの定石らしい。そのあたりをよく知らなかったせいか,何だか不可解な場面にたびたび遭遇してしまい,頭の中ははて?の連続だったかも。「宿主」の肉体に「転生」する転生者が複数いた場合,宿主は多重人格になるということなのか? 異世界から転送されてきたゲノム情報を自分のボディに移植する(p.186),となるともはや想像も理解も追い付かない。

 帯の惹句には「ライトノベル的想像力の彼方へ読者を運ぶ『異世界転生』文学爆誕!」とあって,遠くへ運ばれてしまった一読者である私は呆然自失状態である。「ハニカミ屋」と横溝時雨の会話。「(略)私たちが『意識』と呼んでいるものは,実は自分が生まれる遥か以前からあるものなんです。かつて無数の肉体に宿り,乗り換えを重ねてきた意識を,ある日,突然,我が身に引き受けるのです。生きているあいだはその意識のユーザーになるが,死後,その意識は誰かの肉体に乗り移ることになる。それが転生というものなんです。」「自分というのは唯一無二で,この肉体は自分だけのものかと思ってましたけどね。」「(略)老化が進み,半分ボケてくると,自分が誰だかわからなくなったりする。それは意識が使い古した肉体から離れたがっている兆しなんですよ。」(pp.139-140)