2026-03-26

2026年3月,上野・狛江・渋谷,荘村清志のギター・川口成彦のフォルテピアノ・映画「ジョン・クランコ」

 箍が外れたままの3月後半,あちこちに出かけたのとPCが不調で買い替えたりしていて記録が溜まりに溜まってしまった。気が付くともう桜の便りに街が浮き立つ頃に。

 東京・春・音楽祭2026のプログラムで東京文化会館小ホールに荘村清志のギターを聴きに行く。「武満徹 没後30年に寄せて」というタイトルのコンサートはオール武満徹プログラム。前半は「フォリオス」「ギターのための12の歌」より5曲,「すべては薄明のなかでーギターのための4つの小品」,後半は「エキノクス」「ギターのための12の歌」より4曲,「森のなかでーギターのための3つの小品」。なんとも贅沢なギター1本の2時間だった。荘村清志の武満徹への敬慕の想いが溢れる美しい演奏に思わず涙ぐみそうになる。

 狛江の駅からすぐの狛江エコルマホールに川口成彦のフォルテピアノによる「開館30周年企画 ベートーヴェンをたたえてⅧ 大公/皇帝」を聴きに行く。ピアノソロ「エリーゼのために」,ピアノ三重奏曲「大公」,ピアノソロ「幻想曲ト短調」,最後のピアノ協奏曲「皇帝」は古楽器の弦楽アンサンブルとの共演。
  
 「皇帝」ってこんなに美しい曲だったのか,という驚き。使用ピアノの1825年ウィーン製ヨハン・クレーマーは機嫌が悪かった(?)らしい。べダルのトラブルのハプニングは,1回限りのライブでしか味わえない楽しみということにして,また別の楽器・プログラムで彼の演奏を聴いてみたい。 
 文化村ル・シネマに「ジョン・クランコ バレエの革命児」を見に行く。「その美しさに、世界がひれ伏す」とある通り,シュツットガルト・バレエ団のバレエシーンも彼の見る幻想も,そして彼自身もあまりに美しい。舞踊関係を楽しんだあとはいつもの(?)「バレエの現代」(三浦雅士著 文芸春秋)を紐解く。こんな記述になるほど!と興奮する。

 「物語を捨てて純粋な動きの美しさそのものを求めたバランシンの抽象主義が,カニングハムのモダンダンスに流れ,あくまでも意味に固執し,物語を失うまいとするグレアムの表現主義が,ヨーロッパのモダンバレエに影響を与えたというのは皮肉だが,クランコは両者の総合を企てていたということになる。」(p.171)

2026-03-18

読んだ本,「死んでから俺にはいろんなことがあった」(リカルド・アドルフォ)

「死んでから俺にはいろんなことがあった」(リカルド・アドルフォ 木下眞穂訳 書肆侃侃房 2024)読了。スペイン語圏文学の棚に並んでいて,ジャケ買いならぬタイトル買いで手にした1冊。1人称の「俺」が饒舌に語る時間と空間は不条理に満ちている。

 「俺」は妻と幼い息子と一緒にただ家に帰りたいだけなのだ。言葉がまったくわからない異国の都会で夜中に道に迷ってしまったばかりに,恐怖の時間を過ごすことになる。

 読み進めるうち,「俺」は「くに」で罪を犯して妻と息子と「島」に不法入国した移民であることがわかる。タイトルの「死んでから」は肉体の死ではなく,社会的な「死」を意味していることがこんな一節から読み取れる。

 「俺はここの人間じゃないんだ。俺は存在していない。だが,死人のまま生きるのに慣れることなんでできやしない。」(p.29)

 2023年に翻訳された本作は2009年に発表されたという。日本でも移民問題の認知が進んで,この喜劇仕立ての小説が孕む貧困,移民,差別,家父長制などの問題が私たち日本人が身近に感じて読めるようになったということなのだろう。

 たしかに,ポリティカルに読んで考えるべき問題が詰め込まれてはいる。しかし,この「物語」が語るのは,「俺」は家に帰れるのかという一点だ。私は最後まで,「俺」は本当に生きているのか,妻と息子と同じ水平に存在しているのか,地下鉄を降りてバス停を探し,最後は飛行機に乗せられて結局行きつく場所は天国かそれとも地獄なのではないかと,ずっとハラハラしながら読み進めた。リカルド・アドルフォの語る「物語」は頗る面白かった。 

2026-03-14

2026年3月,東京・横浜,国立能楽堂定例公演・石田泰尚&石井琢磨リサイタル・ルパン歌舞伎

 寒さも緩み体調もよくなって,箍が外れたようにあちこち出かけているのでその記録を。まずは国立能楽堂で狂言「左近三郎」と能「須磨源氏」の番組で定例公演を拝見。行きたいと思ったときにはたいていチケットが完売してしまっているので,今回も譲ってもらったら,なんと正面席一列目。脇正面で見ることが多いので,こんな風に見えるんだ!という驚き。春の月明りのもと,光源氏がまさに目の前に現れて優雅に舞っているよう。能面とばっちり目が合って,雄弁に語りかけてくるような感覚は初めての,至福のひととき。資料展示室では「能面展」を見る。
 気持ちよい気候の一日,みなとみらいホールで石田泰尚&石井琢磨リサイタルを聴く。前半はモーツァルトとグリーグのヴァイオリン・ソナタ,後半はピアソラというプログラム。石井琢磨は寡聞にして知らなかったのだけど,今大変な人気のピアニストだそう。本プログラムは彼が希望したのだとか。前半も後半も二人の個性が響き合ってとてもよかった。アンコールのピアノ独奏「献呈」(シューマン)も美しく,若き才能に拍手喝采。アンコール最後のリベルタンゴがこの日のすべてを持っていったかも。

 そして新橋歌劇場でルパン歌舞伎「碧翠の麗城」を楽しく観劇。昨年の南座で見た第一作に続く二作目。前作では右近が演じた石川五右衛門を今作は片岡愛之助がルパンと二役を演じる。どうなのかな,と思っていたら,ルパンと五右衛門の早替わりが見せ場になってて面白い! そして今作はなんといっても中村米吉の瀬織姫が可愛く美しく,お見事というしかない舞台だった。理屈抜きに面白かった!

2026-03-01

2026年3月,2月のコンサート・映画の記録,「角野隼斗」・「黒の牛」

 2月は展覧会の他にコンサートと映画にもでかけました。忘備録として。

 水戸にでかけて角野隼斗ピアノリサイタルChopin Orbitを聴く。これだけの人気だと,もはや気恥ずかしさすら感じてしまうけれど,やはり好きなものは好きってことでいそいそと特急ひたちに乗り込む。グロービスホールの特徴的な内装は梅の花びら? こじんまりとしたホールで,演奏者との親密な距離感がよい感じ。アデスとかヒナステラとか,未知の作曲家との出会いは多幸感にあふれる。水戸は梅の満開には少し早かった。

 2月は楽しみにしていた映画「黒の牛」にもでかける。 「十牛図」に着想を得た映画っていったいどんな?と思いつつ,その圧倒的な映像美と深い物語に感動。つまりはこの映画の「物語」とは「十牛図」を生きるということなんだ。第八図「人牛倶忘」の真っ白な図はどうやって?とか,あれ,第九図で終わった?とかとにかく「十牛図」を辿る2時間だった。こういう映画にはやっぱり坂本龍一の音楽が欠かせないよね,という感じ。禅僧役の田中泯も聖と俗を生きる感じがよかった。第十図「入鄽垂手」についてはネタバレになるので内緒。

2026年3月,2月の展覧会の記録,「八大山人」・「デューラー」・「ここにいるから」・「ロックフェラー・コレクション」展

 2月の展覧会の記録を忘備録として時系列に。どれも楽しかったけれど,ゆっくり振り返る心身の余裕がなかった。参考に読みたい本が何冊もあるので,読み終えてからまた書き残すかも。とりあえずは鶯谷の書道博物館で「明末清初の書画 八大山人 生誕400年記念」から。生誕400年とはスケールが大きいな,とまず感心。泉屋博古館蔵の安晩帖の展示は期間が限定で,再会叶わず。蘭亭序の臨書が圧倒的だった。
 上野では西洋美術館ですばらしい特集展示を2つ。「物語る黒線たち―デューラー『三大書物』の木版画」はとにかくすごい熱量の展示。「黙示録」「大受難伝」「聖母伝」の活字印刷本の木版画群を「一挙にすべて公開」するという。美術館の意気込みと鑑賞者の感動が一直線!である。美術展鑑賞の醍醐味を味わう。前川誠郎著のデューラーの伝記を読みたい。同時に常設展内特集展示の「フルーニング美術館・国立西洋美術館所蔵フランドル聖人伝板絵―100年越しの”再会”」展も知的興奮にあふれる内容でお腹いっぱいに。
 横浜美術館では「いつもとなりにいるから 日本と韓国,アートの80年」展を。ソウルの現代美術館と共同企画ということ。80年を時系列にたどっているので,まさにいつもとなりにいる国とのつながりをアートという切り口で考えることができる貴重な体験だった。ナムジュンパイクのビデオアートなども充実していて,体調がよければじっくり時間をかけたかったのが本音。
 千葉市美術館の「ロックフェラー・コレクション 花鳥版画展 北斎・広重を中心に」展を最終週に駆け込んで見る。昨年は大河ドラマの関係で浮世絵展をあちこちで見たけれど,今展は花鳥画に絞ったコレクションなのでかなり新鮮。優しい気持ちで見ることができるというか。こういう感覚こそを「癒される」というのだろうなあと独り言ちる。写真撮影可の作品も点数が絞られていて,撮影合戦に巻き込まれることなく楽しめる。撮りましたが。この北斎「鷽 垂桜」を見たくて千葉まで行ったようなもの。イザベル・アジェンデ「日本人の恋びと」の装丁に使われているゴッホのアーモンドの花の絵は,この北斎作品をリスペクトしてるのじゃないかなあ。背景の藍の色も桜の枝と小禽の構図も理屈抜きに好きなんだ。

2026-02-22

2026年2月,シンビジウムの開花

 随分と間を空けてしまいました。ほんの短い期間でしたが入院していて,やはり身体の不調はメンタルにとっても辛いものですね,ようやく文字通りに心身ともに回復傾向です。病理検査の結果が出るまでは不安な日が続きますが,普段通りの生活で大丈夫ということで,少しずつ外出も。入院前に出かけたいくつかの展覧会もあるので近いうちに忘備録を残します。以前,旅先の上田で買い求めた蘭が昨年に続いて開花しました。ラベルがなかったのですが,たぶんシンビジウムの原種に近いのではと思います。美しくて,何だか泣きそうになる。

2026-01-30

2026年1月,展覧会・観劇・読書の記録,「サド侯爵夫人」ほか

 この1月,記録に残していないものがいくつかあって,まとめて忘備録として。紀伊国屋サザンシアターで宮本亜門演出の「サド侯爵夫人」を観る。6人の登場人物はオール男性キャストで,主演は成宮寛貴。舞台の評判はよいみたいけど,個人的には三島由紀夫の戯作世界とはちょっと違うなという感が否めない。新潮文庫を読み返す。
 谷崎由依「百日と無限の夜」(集英社 2025)読了。「出産幻想文学」なのだそう。「隅田川」と「班女」が重要なモチーフになっているというので読んでみた。確かに「出産幻想文学」だった。確信的に「隅田川」の物狂いの女と「班女」の花子が同一人物として描かれているけれど,あくまで「隅田川」のシテは物狂いの女であって,「花子」として登場しているわけではないのでは? 語りが一人称から三人称になったり時制が行ったり来たり,凝った小説だなあとは思う。では,この小説の「物語」とは何なのか,読み終えて何だかよくわからない疲労感。
 話題になってる映画「落下の王国」を観に行く。これは文句なし(?)に面白かった。ロケ地や衣装の美しさはもちろんのこと,この勇者たちの旅の「物語」が美しく,見終えて驚きと喜びに包まれる。ラダックはいつか行きたいとずっと想い続けているけれど,体力的に不安を覚える昨今,美しい映像は無上の喜び! タージ・マハルはもちろん,ファテブル・シクリの庭園やアグラ城などなど,楽しかったインド旅行を思い出して興奮! 
 六本木の泉屋博古館東京では鹿子木孟郎展を見る。近代の日本洋画に本格的な「写実」表現をもたらした画家の画業を堪能する。「木の幹」(制作年不詳),「加茂の競馬」(1913)などなど。