Les Fausses Positions
読書,アート,古いもの,ときどき旅の記憶
2026-01-30
2026年1月,展覧会・観劇・読書の記録,「サド侯爵夫人」ほか
2026-01-23
読んだ本,「マルコヴァルドさんの四季」(イタロ・カルヴィーノ)
邦訳が出ているので嬉しい。岩波少年文庫に入っているけれど,大人が読んでこそ,マルコヴァルドさんという貧しい労働者の眼を通した自然への畏怖,荒廃した都会と人間への批判,それらの先にある人間存在を肯定する美しい魂の存在などなどに深く共感するのではないだろうか。
20編のどの一つも美しい。とりわけ私の心には「まちがった停留所」のちょっと不穏でシュールな感じが面白く響いた。バス停を探し続けたマルコヴァルドさんが歩道から飛び降りて,乗り込んだのは,インドへ旅立つ飛行機だった。家に帰るための停留所をずっと探し続けて,運ばれていく先は見知らぬ世界だったのだ。でも彼はそのまま窓の外を眺めて飛び続ける。
2026-01-14
読んだ本,「根も葉もある植物のはなし」(塚谷裕一)
「根も葉もある植物のはなし その多様なすがた・かたちについて」(塚谷裕一 山と渓谷社 2025)読了。とにかく楽しく美しい読書の時間だった。次々と息を呑むような写真が頁を彩り,「(略)自分が子どもだった頃にあったら読みたかった内容になるように書いてみた。何度も昔からコピー&ペーストの繰り返しで焼き直されてきたような,ありきたりの説明は,そもそも書く気になれない。読むほうだって飽き飽きするだろう」(まえがき pp.2-3)という説明が読む手を休ませない。
「葉」「花」「果実、種子」「茎、枝、幹」「根」の六章から構成される。どの章のどの項も忘れ難いが,表紙にもなっている「ヒスイカズラ」の項「蒼に咲く」にすっかり魅了される。著者が園長を務めている小石川植物園の新温室にこの株の子孫が育っているとのこと。ぜひこの「蒼」の色を見に行かなくちゃ。
「黒い花」や「タシロ氏」の項など,私には「花」の章がインパクトが大きかったかな。「色づく」の項では赤い大根の色彩の妙にもびっくり。中国大根の長安青丸紅芯の実物を是非見たい(食したい)と思ったけど,簡単には手に入らないみたい。そこで普通のというか,国産の市場に出回っている赤大根を買ってきた。サラダか漬物くらいしか思いつかないけど,本書によればおろしも美味らしい。早速試してみた。なるほど,甘みが濃い感じ。
2026-01-09
2026年1月,東京恵比寿,「作家の現在 これまでとこれから」
「作家」は石内都,志賀理恵子,金村修,藤岡亜弥,川田喜久治という錚々たる5人。フライヤーの金村修の写真が1993年撮影のものなので,とにかく彼の「現在」「これから」が知りたいとはやる気持ちで会場を進む。
そして金村修の「現在」を目の当たりにしたとき,それは「衝撃」としか言いようがなかったのだ。作家のコーナーの最初は『System Crash for Hi-Fi』というタイトルの20枚組で,暗室のアクシデントの痕跡が写真を「破壊」している。近年取り組んでいるというコラージュやドローイングの,余白を埋め尽くして反復する細密な線は,何か狂気性を想起させるものに見えてしまう。
解説を読むと,これらは「彼の写真作品に通底する衝動-すなわち,都市の構造とエネルギーを視覚化しようという欲望を思わせる。そこには,作家としての揺るぎない視点と,メディウムを超えて世界を構築する力がある。」とのこと。そうか,私が「これまで」見ていた写真作品にこそ彼の本質があり,「現在」の姿は決して「衝撃的」などではなく,必然の「これまでの未来」の姿なのか。
とにかくも私の(やわな)マインドが衝撃を受けたことには変わりなく,ちょっとフラフラになりながら会場を進む。川田喜久治のコーナーでボマルツォの怪物公園の1枚を見る。悪趣味でありながらも,フラフラのマインドには「見たことがある」風景の写真として,寧ろほっと安心して眺めてしまう。
写真美術館では,日本の新進作家シリーズvol.22「遠い窓へ」展も見る。寺田健人の「想像上の妻と娘にケーキを買って帰る」シリーズがおもしろかった。
2026-01-07
読んだ本,「怖くて美しい能の女たち」(林望)
2026年1月,東京東銀座,「寿初春大歌舞伎」
音楽は常磐津と長唄の掛け合い。そのそれぞれの魅力も楽しめる演目でした。昼の部はほかに,お目出たい3つのプログラムの「當午歳歌舞伎賑」と勘九郎が斎藤別当実盛を演じる「源平布引滝 実盛物語」。勘九郎は貫禄たっぷり。とってもかわいい子役の守田緒兜くんは巳之助の息子。
実盛が後に髪を染めて戦って首を討ち取られるという後日譚は,子どものころ加賀の「首洗池」が小学校のバス遠足の定番コースで,毎年のようにバスガイドさんの説明を聞くたびに哀しい武士のお話だなあと子ども心に思ったものでした。こういうのって何十年たっても思い出すものだな,とそんなことをしみじみ思ったお正月。
2025-12-30
2025年12月,東京六本木ほか,展覧会の記録
12月の忘備録として。フジフィルムスクエアにエドワード・マイブリッジの写真を見に行く。「連続写真に取り憑かれた男」という副タイトルがついている。取り憑かれたっていうのは穏やかじゃないな,と思いつつも,その生涯と撮影手法の詳しい解説を読むとなるほど,である。
マイブリッジの連続写真は写真史の展覧会とかで数点ずつ見たことはあるけれど,まとまった形で見るのは初めてでちょっと感激。プリントは19世紀末のオリジナルではなくて,富士フィルムが所蔵するフォトグラヴィアの展示。関連書籍は原本の展示。
四谷の韓国文化院に「浅川兄弟の遺した道」という展示を見に行く。兄弟の旧蔵の朝鮮陶磁器などの展示がメインかと思っていたら,それらは展示の一部で,むしろ彼らの生涯そのものを丁寧に紹介する企画展。夥しい数の付箋がそれ自体美しい「朝鮮半島窯跡分布図」はまさに彼らが辿った軌跡を示すもの。記念講演会も聴講した。北杜市に浅川兄弟の資料館があるらしい。暖かくなったら行ってみたい。それまでに復習しておかなくちゃ。