久しぶりに魂が震えるような読書。「ジャッカ・ドフニ」とは網走に実在した民族資料館の名前で,「大切なものを収める家」という意味なのだという。アイヌ同様の少数民族であるウィルタ人のゲンターヌ氏が20世紀後半に創設したその資料館は,今は閉鎖されているらしい。
物語は,17世紀前半,アイヌ女性と日本男性の間に生まれた少女チカップ(アイヌ語で鳥と言う意味)が,キリシタンの少年ジュリアンとマカオへと渡り,自らのルーツ,女であること,そしてカトリックへの信仰と向き合い,常に強い意思を持って生きていく。その果てにはさらなる別離と流浪が待ち構えている,というのが主旋律となっている。
そして,その物語の外縁に,津島佑子の分身である「あなた」の物語が配され,8歳で不慮の事故で死んだ息子との北海道旅行の記憶が語られる。二人で訪れたジャッカ・ドフニと,そこで出会ったゲンターヌとの思い出。
読み手である私は,歴史の波の中を生き抜くチカに寄り添うのと同じくらい,息子を亡くした母親である「あなた」に共感し,その悲嘆をいつしか自分のもののように感じて,辛くてたまらなくなる。「あなた」も若き日の旅で見た光景を息子に見せたかったのよね,と思わず一人ごちる。
亡くなった息子の物語と,チカの物語は重層的というより,ずっと一定の距離を保って語られているように思われる。それだけに,物語の最後,アイヌへ渡ったチカの子供たちのその後の人生が,現代の物語とどこかで交錯するのではないか,という想像の余韻が読者に手渡されているようだ。読み終えて,考えて,ここに記録を残そうとする私は,この小説から強靭な力を与えられた気がしている。
チカの魂には,母のかすかな記憶が,アイヌの歌である「カムイ・ユカラ」として生き続けている。その美しい言葉の響きはいつまでも余韻として残る。その歌を聞いた洗礼名ペトロはこう言う。「世界はいつもむごくて,理不尽で,悲しみに充ちとるらしか。わしはパードレさまに救われて,きりしたんになれて,やっぱし感謝しとるよ。そいに,このチカ坊の歌にも救われとるな。さいわいなるかな,心の清き者,そのひとはデウスさまを見ん,というゼズスさまのおことばを,チカ坊の歌を聞いとると思い出すんよ。大げさに聞こえるかもしれんが,心の清き者の意味が,わしにもちいと見えてくる気がするんや。透明な水の流れに,そいは似とるかな。空の鳥かもしれん。野の花かもしれん。」(pp.344-345)
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