昨秋,東京国立近代美術館で開催されていたトーマス・ルフ展を見逃してしまったのですが,金沢21世紀美術館で巡回展を見ることができました。この美術館は,現代美術を愛する観客というより,金沢の観光の目玉として訪れる観光客が多すぎます。今展も,ガイドブック片手,みたいなグループやカップルがたくさんいて,ちょっと(かなり)テンションが下がる下がる。
そもそも,現代美術を楽しむという行為にはどこかポピュラリティーからは距離を置いた,醒めた自意識みたいのが土台にあると私は思っていて,それはある種の特権的な楽しみと言ってしまってもいいのではないかと思うのです。だからこそ,この美術館の人混みにはちょっと辟易する。
とまあ,グチはこれくらいにして,さてThomas Ruff。何と言っても巨大なポートレートが圧巻。そもそも証明写真とは,自らのidentityをある特定の機関に提出するための手段といえるでしょう。それを文字通り「公衆の面前に晒す」ということ自体にざわざわとしたものを覚えるわけですが,ここにあるのはとにかく巨大なサイズに引き伸ばされていて,それ自体が不可思議な映像なのです。この証明写真の「意味」は存在するのだろうか。
そしてもっと不思議な感覚を覚えたのがother Portraits「アザー・ポートレート」の展示でした。複数のポートレートをモンタージュの手法でプリントしたもの。モンタージュとは,言うまでもなく実在の犯罪者の顔を作り出すもの。作り出された顔は実在の犯罪者に似せた「非在の顔」でしかない。しかし,それを作り出すために重ねるのは「実在の顔」。
1枚1枚を見ていて,奇妙なことに気付きました。写真のフレームに,ガラス(アクリル板?)が入っているものとそうでないものがあるのです。必然的に,見ている自分の顔が映り込むものとそうでないものがある。これは意図された演出なのだろうか?ガラス入りのフレームの前に立つと,私の顔が重なるのです。あわてて別の1枚の前に立つと,今度はその顔が自分とそっくりなことに気付く。
美術館の外は吹雪になっていて,まだ夕刻には早い時間なのに,暗く重い空が低い位置まで迫っていました。きっと,東京国立近代美術館で見るのとはまったく違うThomas Ruffを私は体験したのだろうな,と思いつつ,降りしきる雪の中へ足を踏み出しました。