複数の人格で作品を書き分けるというのとは違い,1冊の詩集を3人の人格で書き上げ,しかもそれが自伝的な内容なのだから,面白くないわけがない。とはいえ,そういった作品としての面白さ・完成度とは別のこととして,読み始めてしばらくはこの「ネリーナの詩」はいったい「詩」なんだろうかと思えてくる。
普通に行を分けずにつなげていけば,散文として何の疑いもない文に思えてしまう。というか,これはイタリア語を母語としない女性の書いた「詩」としてラヒリが意図的に創作したということなんだろうか。それとも日本語への翻訳段階での違和感なのだろうか。
もやもやとしながらも,終盤の「遍歴」「考察」の章にいたると,それらはまさに美しい詩篇であり,だとすればやはりラヒリはネリーナの成長を描こうと意図したのかとも思えてくる。一筋縄ではいかない作家の自伝なのだ。
ネリーナの詩には興味深いモチーフもたくさん登場する。「語義」の中の一篇〈Invidia 妬み〉。「もしもバカンス先で/三日続いた曇り空のあと/海に太陽が降り注いだら,/それもわたしの出発間際に。」(p.78)