ホイアンから1時間ほどのドライブでミーソン遺跡に到着。2~17世紀頃まで海洋交易国家として栄えたチャンパ王国の聖地です。チャンパ王国はインドシナに存在してベトナムという国に脅威を与えた強国です。
このあたり,ベトナムの「北属南進」の歴史が理解のキーワードになります。「物語 ヴェトナムの歴史」(小倉貞男著)の第3章「南進の時代・国際社会との出会い」の「南北挟み撃ちのヴェトナム」を事前に読んでおいたけど,かなり複雑。
池澤夏樹の「パレオマニア」の旅人は,今もチャム族の末裔が暮らす村が近いからという理由でダナンより南のニャチャンに近いポー・クロン・ガライの遺跡を訪ねています。その村で老人から聞くチャンパ文化の話が面白い。「昔のチャム人はひたすらインドに憧れていた」「港が造れるところに港を造り,ちょっと奥に王都を造り,もっと山の方に寺院を造る」という一節があり,なるほどヒンズー教の神々を祀る「聖地」が山の中に築かれたわけだ。
さて,実際に遺跡に足を踏み入れると,思った以上にベトナム戦争による破壊の傷痕が生々しく,往時の姿はいかばかりかと思う。ダナンのチャム彫刻博物館には日本が協力した復元模型が置いてあったけれど,チャンパ建築は謎が多く,煉瓦が何を使って接合しているのかも不明なのだそう。
ミュージアムで見た獅子像のように,建物を支える動物像を発見して,あ,こういう風に使われていたんだ!となんだか嬉しくなります。強烈な日差しのもと,インドシナという地域のダイナミックで複雑な歴史と,豪放なエネルギーを湛えていたのであろう,チャンパの人々の信仰心を思い描きながら,ゆっくりと歩き回りました。