2017-07-31

2017年7月,これから見たい展覧会,ジャコメッティ

  6月~7月に見た展覧会についてはまたこれからアップするとして,今回はこれから見たい楽しみな展覧会について,まずは国立新美術館で開催中(2017.6.4-9.4)の「ジャコメッティ展」(公式サイト)。これから読みたい本や見たい展覧会のことを考えている時間というのは,自分の未来を生きている感じがして,どんなに歳を重ねてもわくわくしてきます。

 ジャコメッティのイメージは強烈だし,これまでにもまとめて見たことがあるような気がしていたけれど,記憶は曖昧です。過去の展覧会図録もこの佐谷画廊「アルベルト・ジャコメッティと矢内原伊作」(1994)しか見当たりません。今回は彫刻だけでなく,油彩・素描・版画など132点も見ることができるということ。(展示替え作品が12点あり。現在は後期展示(7/19~)です。)
 
  そしてHPを見てみると,夏休みフェアという企画をやってます。(こちら)。図録やグッズを買うとポスターがもらえる!

 そしてジャコメッティと言えば矢内原伊作ということで,「ジャコメッティ」(みすず書房 1994)もずっと読みたいと思っている大部の書です。みすず書房からはジャコメッティ関連の本が他にも複数出版されていて,前から気になっています。この機会に手にとってみよう。

2017-07-29

2017年6月・7月,金沢21世紀美術館,柳宗理記念デザイン研究所など

  頻度は減ったものの,相変わらず金沢弾丸往復を繰り返しています。それほど現地で時間を拘束されるわけではないので,ぶらぶら街散歩も。5月から7月にかけての簡単な忘備録として。


 金沢21世紀美術館では池田学展(2017.4.8-2017.7.9)を見る。個人的には島田雅彦の「虚人の星」(講談社 2015)のカバー絵が印象的な作家。この展覧会はNHKでも特集番組がありました。キワモノ的な先入観を持っていたのだけれど,思っていたよりもずっと多い数の作品を見ていると,ただただ圧倒されて言葉を失います。この人は「筆を動かさない自分」を恐れているのではないかとさえ思う。

 快晴の21世紀美術館は,トーマス・ルフを見た雪模様のその場所と同じ場所とは思えない。この建物はあまり好きではないのだけれど,これだけ様々な表情を見せられると,これは古都に浮かぶ異空間そのものに思えてきます。

 横安江町商店街では不思議なオブジェを見る。この場にまったくなじまない妙な存在感にギョッとする(スミマセン)。

 柳宗理記念デザイン研究所では「バタフライスツール60周年記念企画展」(2017.6.6-2017.7.17)を見る。ダイニングテーブルとチェアーは30年近く天童木工のものを使い続けているので,勝手に親近感を抱いて制作工程の展示などを楽しみました。研究所の常設展示は凡庸でちょっと残念。

 おしゃれな書店特集の雑誌で見たSerifはすぐ近く。「本とギャラリーでつくる,タイポグラフィのある風景」ということ。代官山とかにあったら,店員さんが怖くて何だかよくわからない店だろうけど,ちょっと話しかけるととてもフレンドリーに対応してくれる店員さんのおかげで楽しかった。

 ほかには石川県立博物館で「北前船と日本海海運」(2017.4.22-2017.5.28)展など。こうやって記録に残してみると,「元は取らなきゃ」的な焦燥感に我ながらちょっとあきれる。 

2017-07-28

読んだ本,「偶然短歌」


  ここのところ,歴史関係の新書本をたくさん読んで,知識の詰め込みに疲れてこんな本を勧められて読んでみた。Wikiの文章の中から,偶然57577のリズムになっている文章を切り取るプログラムを開発した著者の作品(?)100首(??)と短いコメントがまとめられた本。(飛鳥新社 2016)
  うーん,これを読書というのだろうか。某レビューには「こんなものに対価を求めるな」という趣旨のものが載っている。ほぼ同感なのだけれど,ただ1首(?)のためにここに読書録として残しておこうと思う。

 「その人の読む法華経を聞きながら、眠りについてそしてそのまま」

 引用元の項目名が「櫻間伴馬」となっている。これにはびっくりした。思わずWikiで確認してしまう。櫻間右陣さんの先祖にあたる能役者の晩年に関する文章の中に確かにあった。この57577の文章が。「そしてそのまま」の後は,想像に難くない。息を引き取ったのである。
 
 そしてそのまま,思わずWikiをじっくり読み始めてしまった。知らなかった櫻間家の知識を学んで,こういう「偶然」も面白いと思った次第。今週末は銀座の新装なった観世能楽堂の櫻間右陣の会にでかける予定です。

2017年7月,フウランの開花

  5月に大宮で買ったフウラン「春及殿」が開花しました。

 やっと一息ついている今日この頃。身近な人の老いの恐ろしさと醜さに,言葉が出てきませんでした。ある程度の諦念が必要なのだと,ようやく自分の中に覚悟ができてきて,生活のリズムも戻ってきました。可憐な花を見て,ふう,という感じ。フウランだけに(!)。