「女たちの遠い夏」は原題がA Pale View of Hillsで,のちに早川から再販されたときには「遠い山なみの光」と改題されている。そういう後付けの知識は読書には不要だけれど,原題に忠実な「遠い…」はいかにも地味な印象,「女たちの…」の方がインパクトがあると,当時の訳者や編集者が考えたのだろうな,と邪推もしたくなる。のちにこのイギリス在住の作家がノーベル文学賞を受賞することになるなどと,出版当時に想像した人が一人でもいただろうか。
悦子というイギリスに住む日本人の女性が自分の過去を回想するストーリーだが,近くに住む佐知子という不思議な女性との交流,複雑な家族の関係,娘の自殺など,不穏な出来事が端正な文章と破綻のない見事な構成で語られる。読み進むうち,これが英語で書かれた小説の日本語訳であることを忘れてしまいそうになる。悦子も佐知子も原文ではEtsukoでありSachikoであったはずなのに。
「充たされざる者」The Unconsoledは文庫本で939頁の厚さ。愛読者と言いながら,未読だったこの本を読む気になったのは,やはりノーベル文学賞がきっかけだったわけだから,なんとなく後ろめたい気はする(誰に対してというわけでもないが)。
「木曜の夕べ」に出演するピアニストのライダーが,ある町を右往左往する。それがすべて。文庫カバーの惹句には「実験的手法を駆使し,悪夢のような不条理を紡ぐ問題作」とある。確かに,この本を抱えるようにして読んでいた間,何度も悪夢を見てしまった。しかし,頁を繰るのももどかしく,一気呵成に読み終えて,ああ面白かった!という感想しか浮かばない。
読者はどこに立っているのか。どこか高みからライダーと町の人たちの悲喜劇を俯瞰しているような,そう,この不条理の世界を神の視点から見ているような錯覚を覚えて千ページに及ばんとする読書の迷宮を彷徨うのだ。
「なあ。いつも最悪に思えるのは,それが起きているときさ。だが過ぎ去ってみれば,何であれ思っていたほど悪くはないものだ。元気を出しなさい」(p.934)
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