泉屋博古館で日本画の展覧会を見てから,思い立って手に取った本。小林秀雄賞を受賞したときのすずしろ日記(UP版第104回)がケッサクだったので購入してそのまま本棚に眠っていた。
文章は平明だけれど,山口晃という絵師にしか書けない・見えないものがちりばめられていて夢中で読み終えた。図版も美しいけれど,本人のさらさらっと書いた挿図もまたお見事。(「慧可断臂図」の顔の説明。これはキュビズム!だ!)
もともと講演で話した内容を文章にまとめたものらしい。「山口晃という絵師にしか書けない」という点が小林秀雄賞につながったのだろうか。「すずしろ日記」では小林秀雄を「ヘリクツの王様」扱いで思わず苦笑。河鍋暁斎を扱う次のような文章ではその面目躍如といった感じだろうか。芳崖や雅邦を見た後なので,尚更面白く読んだ。
「近代の日本画は,私などには天心の危機意識と同志フェノロサの理想の押し付けが生み出した外発性の高い人工的な代物に見えるのです。先述した旧来伎藝の再編入以上に近代日本画に見られるのは,バルールの重視と透視図法の導入です。この二つは多分に西洋画的な要素であり,暁斎の描く実感による画と相いれませんが,西欧や欧化への対処の為にあえて加えられたのです。これを試した芳崖や雅邦の後の人たちは,パースのきちんととれた画を描くようになります。/パースに関しては暁斎は「とれない」と云うことになるのですが,私はあえて「とれない事ができる」と言い換えます。」(p.229)
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