まず第1章「ターナーとラスキン」から始まります。ラファエル前派の展覧会でこれだけターナーを見せるとは。なぜならラスキンがターナーを高く評価していたから,というのが謎解きなわけですが,この展覧会自体がラスキン生誕200年を記念するものだというから,なるほど納得です。
ラスキンのデッサンや水彩画をこれほどまとめて見る機会というのは,日本ではほとんどないのでは,と思えるほどです。ほとんどがランカスター大学ラスキン・ライブラリーのラスキン財団所蔵と書いてあります。珍しい,という視点と同時に,なんて上手いのだろう,という驚きの視点と。
古建築のデッサンなど,この展覧会の白眉ではと思えるようなものもあり,こんなさりげない植物画もとても魅力的。「美」が人生に寄り添っている人の手によるものだと伝わってくる。フレデリック・ホリアーによる老年のラスキンの写真のタイトルは「静寂の時」とあります。
さて,第1章でもうお腹いっぱい,みたいな気分になりましたが,ここからラファエル前派の展示が始まります。ロセッティやミレイなどおなじみの顔ぶれが並び,ラスキンとミレイをめぐるスキャンダルなど,ちょっと辟易するエピソードなども。
ところが不思議なことに,既視感あふれる展示も「ラスキンが評価して導いたラファエル前派」というフィルターを通して見ていくと,なぜか新鮮な悦びにあふれている! 「若者たちのはやるエネルギーの塊」という印象を持ってしまっていた彼らの作品が,ラスキンという深い思索と慧眼の人に導かれた純粋な運動への衝動,という風に変貌して見えてきたのです。
我ながらかなり単純と思いながら,青木繁に影響を与えたというエドワード・バーン=ジョーンズの作品なども,2017年のラスキン文庫主催の講演を思い出してじっくり堪能しました。予想以上に知的な展覧会に興奮。
展覧会を見に行った4月上旬はちょうど八重咲の桜の見ごろのころでした。東大本郷キャンパスの八重桜。
0 件のコメント:
コメントを投稿