島田雅彦「虚人の星」(講談社 2015)を読了。表紙カバーは池田学の「予兆」。金沢21世紀美術館で見た個展の,息詰まる緊張感を思い出す。彼は世界の終わりと再生をあまりにも繊細なペンの筆致で描き出した。この装丁は島田雅彦が指定したものと思いたい。
総理とスパイの意識を交互に語る小説は,そのすべてを一人称で語り尽くす。そして総理もスパイも自らの内に別の人格を持つ。2人が交差する必定は,DNAの必然でもあるのだ。雅彦ワールド全開のストーリーに,文字通り寝食を忘れて没頭した。
スパイの星新一の別人格たちはドルーク(ロシア語で「ともだち」)と呼ばれる。二番目のドルークである「博士虫」のこんな描写が面白かった。
「博士虫は普段はページのあいだや行間で眠っていて,誰かの手でページが開かれるのをひたすら待っている。街の図書館から私が借りてくる本は人気がないようで,貸出中の本は一冊もなかった。ここ十年間は誰もページをめくっていないだろう。本は読まれるためにあるのだが,実質,コトバを閉じ込めておく牢みたいなものだ。/博士虫は本に書かれたコトバを栄養源に成長する。私のようにナイーブな者は寄生されると,何となく「ああ,きたな」とわかる。」(p.57)
「ああ,きたな」という感覚には,私もしばしば遭遇する。寄生される感覚は,読書の悦びでもある。
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