2020-02-29

2020年2月,インド(2),デリーからヴァラナシへ:サールナート(鹿野苑)

  インドへは成田からエア・インディアで約10時間,初日はデリーのホテルへの移動のみ。ところで今回の旅行,添乗員さんがアテンドしてくれるツァーに参加したのでした。実は初めて。添乗員さんて,何て頼りになるんでしょう! 最初は全行程のEチケットを預けるのもびっくりしましたが,すっかりお任せしてしまうとホントに楽ちんな旅。ビンボー旅行が板についてしまっている私には,海外でこんなに甘やかされていいのか??とありがたい体験でした。
 さて,いきなり脱線しましたが,2日目はエア・インディア国内線でデリーからヴァラナシへ移動。なぜか成田線よりきれいな機体で快適なフライトでした。軽食の機内食(辛い揚げ物!)をいただいて,到着してすぐにレストランでランチ(!)。前回のインド旅行で学んだ腹八分目を厳守する。
 
 その後,バスで約30分,サールナートへ向かいました。今回のツァーでは仏教遺跡はブッダガヤ,ラジギール,サールナート,ナーランダ大学を訪ねます。旅程の関係でブッダの生涯の順番通りにはなりません。まず訪ねたのが,悟りを開いた後に初転法輪の地(最初に説法を行った地)であるサールナートということになりました。
 鹿野苑と呼ばれる広い敷地は,今は美しく整備された遺跡公園という趣です。ムルガンディ・クティ寺院(日本人画家のフレスコ壁画)や巨大なダメーク・ストゥーパなどなど。発掘品が展示されているサールナート考古博物館が隣接しているらしいのですが,立ち寄りなし。申し込んだときにちゃんと確認しなくて,てっきりコースに入っていると思っていました。残念。行きたかったなあ。またいつか,はあるだろうか。公園の中では発掘作業が今も続いているようでした。 

  発掘された礎石やストゥーパが美しく保存されています。ブッダの生涯をたどる本を何冊か読んでいきましたが,付け焼刃の知識しかありません。実際に説法を行った地に立っている,ということもまだピンと来なくて,歴史のロマンだわ,くらいの感慨だったのですが,日を追って衝撃度が増していくこととなりました。この日はその入口ということで。
美しいシルエットのこれは菩提樹かな? 語らう二人の遠景が眩しい。

2020-02-28

2020年2月,インド(1)


  短い休暇をとって4泊6日,インドへ行ってきました。インドは2回目。前回行けなかったガンジス河や,仏教遺跡がどうしても気になっていたのでした。念願の旅行はそれはそれは衝撃的で,とにかく面白かった,としか言いようがない。写真は枚数が少ないのですが,少しずつ旅の記録を残していこうと思います。アグラ城庭園の虞美人草。

2020-02-11

読んだ本,「案内係」(フェリスベルト・エルナンデス)

  フェリスベルト・エルナンデスの「案内係」(水声社 2019)を読了。「バートルビーと仲間たち」で登場したエルナンデスの短編集の邦訳が昨年出版されていたと知って,読んでみた。

  「フィクションのエル・ドラード」シリーズの1冊で,このシリーズにはコルタサルの「対岸」や「八面体」,ホセ・ドノソの「夜のみだらな鳥」など,面白く読んだ本が並んでいる。巻末のリストには,ジョサの「マイタの物語」やホルヘ・イバルグエンゴイティア「ライオンを殺せ」など,見ただけでわくわくするようなタイトルがずらりと並んでいる。

 フェリスベルト・エルナンデスは,件の「バートルビー」のおかげ(?)で「何も起こらない物語」という先入観を持って読み始めた。確かに,「誰もランプをつけていなかった」や「フリア以外」というタイトルからも,彼がいかにバートルビー的であるかが伝わってくるわけだが,では,物語というのは「何かが起こる」ものなのだろうか?

 「誰もランプをつけていなかった」は,家具にぶつかりながら帰ろうとした「ぼく」の袖をつかんだ姪が,「お願いがありますの」と言ったきり,それから何も言わなかったという場面で終わる。そうしてパーティーは終わる。読者が受け取るのは,一遍の物語以外の何物でもない。

 どの短編も,「何も起こらない」からこその「何が起こっても不思議ではない」魅力にあふれていて,私にとっては大発見の作家だった。「バートルビーと仲間たち」を読むという行為に導かれた読書という意味で,私にとっては非バートルビーの作家ということになるだろうか。何だかわけがわからなくなってきたけれど,ひっくるめて実に愉快な読書だった。

 「…。だが,ピアノ奏者がストッキングを売っているというのは印象が悪かった。ストッキングの販売に関して言えば,ぼくは毎朝やる気をふるい立たせては毎晩そのやる気をなくしていた。まるで服を着ては脱ぐみたいに。」(「ワニ」p.100)

2020-02-02

「本屋博」で買った本,Walker Evans at Work

  二子玉川で開催されていた「本屋博」に行ってみました。毎年,京都まで古書市に遠征するワタクシとしては,最近のおしゃれな書店事情を眺めてみるか(←偉そう),くらいの気分だったのですが,何しろ狭い会場に40店舗のブースがひしめき合い,感度の高そうな(!)若者たちがあふれ,疲労困憊で早々に撤退。
 
 しかし。手ぶらでは帰りません。くりから堂のブースでWalker Evans at Work(Harper & Row, 1985)を格安で発見。745枚の写真とテキストが示すのは,写真家の”what he saw, what he recorded, how he altered what he recorded to achieve the image he intended”ということ(背表紙の紹介文より)。
 
 例えば,有名な「ブルックリン橋(1929)」のページはこんな感じ。 

読んだ本,「百年泥」(石井遊佳)

  「百年泥」(新潮社 2018)を読了。2017年の芥川賞受賞作とのこと。作家の石井遊佳とはほぼ同年代。インド・チェンナイ在住だという。大阪生まれで東大院のインド哲学出身と聞いて興味を持って読んでみた。先入観を裏切られない,ユーモアあふれる知的な物語に興奮。
  小説を書く上で,どうしてもわからない,知りたい,と思ったのが「仏教」だったとインタビュー記事にあった。それでインテツに進んだのだという。彼女にとって「仏教を学ぶ」ということは「小説を書く」と同義語だったのかもしれない。読者である私は,この「小説を読む」ことで「仏教を知りたい」という身近で愉快な機会を与えられた。
 
 洪水でたまった百年泥から行方不明者がひょっこりと現れたり,有翼飛行通勤の権利を持つ特権階級など,奇想天外な展開はマジックリアリズムの手法のようでもある。語り手の「私」は企業内でインド人青年たちに日本語を教えている。

 「かつて綴られなかった手紙,眺められなかった風景,聴かれなかった歌。話されなかったことば,濡れなかった雨,ふれられなかった唇が,百年泥だ。あったかもしれない人生,実際は生きられることがなかった人生,あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙,それがこの百年泥の界隈なのだ、(後略)。」(p.118)