フェリスベルト・エルナンデスの「案内係」(水声社 2019)を読了。「バートルビーと仲間たち」で登場したエルナンデスの短編集の邦訳が昨年出版されていたと知って,読んでみた。
「フィクションのエル・ドラード」シリーズの1冊で,このシリーズにはコルタサルの「対岸」や「八面体」,ホセ・ドノソの「夜のみだらな鳥」など,面白く読んだ本が並んでいる。巻末のリストには,ジョサの「マイタの物語」やホルヘ・イバルグエンゴイティア「ライオンを殺せ」など,見ただけでわくわくするようなタイトルがずらりと並んでいる。
フェリスベルト・エルナンデスは,件の「バートルビー」のおかげ(?)で「何も起こらない物語」という先入観を持って読み始めた。確かに,「誰もランプをつけていなかった」や「フリア以外」というタイトルからも,彼がいかにバートルビー的であるかが伝わってくるわけだが,では,物語というのは「何かが起こる」ものなのだろうか?
「誰もランプをつけていなかった」は,家具にぶつかりながら帰ろうとした「ぼく」の袖をつかんだ姪が,「お願いがありますの」と言ったきり,それから何も言わなかったという場面で終わる。そうしてパーティーは終わる。読者が受け取るのは,一遍の物語以外の何物でもない。
どの短編も,「何も起こらない」からこその「何が起こっても不思議ではない」魅力にあふれていて,私にとっては大発見の作家だった。「バートルビーと仲間たち」を読むという行為に導かれた読書という意味で,私にとっては非バートルビーの作家ということになるだろうか。何だかわけがわからなくなってきたけれど,ひっくるめて実に愉快な読書だった。
「…。だが,ピアノ奏者がストッキングを売っているというのは印象が悪かった。ストッキングの販売に関して言えば,ぼくは毎朝やる気をふるい立たせては毎晩そのやる気をなくしていた。まるで服を着ては脱ぐみたいに。」(「ワニ」p.100)
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