どの短編もぞっとするほど魅力的だが,一番惹かれたのは「キルケ」。思わずJ. W. Waterhouseのあの1枚を思い出さずにいられない。奇しくも短編の扉にはガブリエル・ロセッティの「林檎の谷」の一節が引用されている。ラテンアメリカリアリズムのミューズはラファエル前派?
二人の婚約者を亡くしたデリアを愛したマリオは,求婚を決意してこう思う。「結婚まで至らずとも,こうして静かな愛を引き延ばしていれば,やがて彼女は隣に三人目の死者がいるとは思わなくなり,この恋人もやがて死ぬという予感から解放されるだろう」(p.125)
男のこんなうぶな思いこみがいかに脆いものであるかが明らかになり,デリアの「予感」がいかに怖ろしいものであるかを知るとき,コルタサルの現実と虚構の境界,つまりは生と死の曖昧な境界を漂うのはこの短編を読む自分自身だと気付く。三人目の死者は私だったのかもしれない。
さて,この年末年始はまたステイホーム期間となりそう。大掃除と読書で過ごします。拙ブログを見てくださる皆さま,どうぞよいお年を。来年はよい年になることを願いつつ。
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