クッツェーを読むのは「遅い男」以来だから7年ぶり?! ページを繰りながら「恥辱」「遅い男」の主人公たち(デヴィッドとポール)の姿が脳裏に蘇ってくる。六十代ぐらいと思しきシモンは血縁のないダビードをわが子とし,彼に母親イネスを見つける。特異な才能を持つダビードを特殊学校へ入れたくないシモンとイネスはノビージャを逃れて(ここまで「幼子時代」)、エストレージャという街へやってくる(ここから「学校時代」)。
訳者はあとがきでこの小説を「疾走するエンターテインメント不条理小説」と呼んでいる。奇妙な聖家族の物語かと思いきや,その名も「ドミトリー」というダンスアカデミー(ダビードが通う)の門番が登場して物語はミステリーのような展開を見せる。門番はもちろんカフカの「掟の門前」がモチーフだ。彼は「カラマーゾフの兄弟」もしくは「罪と罰」よろしく,重大な罪を犯すのだ。しかし,最後まで「なぜ」かは書かれない。
最後まで謎は解けないが,シモンの精神の辿る過程は魅力的で(訳者はそれをあとがきで「成長」と呼んでいる)物語の最後の場面には感動すら覚える。シモンは踊る。目眩がしながらも腕を伸ばし目を閉じて,踊る。
ドミトリーを慕うダビードの終わりのない「どうして」に答えたあとのシモンの独白。「ダビードをイネスのもとに帰し,また自分の部屋に帰りつくと,恐ろしい霧がまといついてくる。グラスに一杯ワインを注ぎ,またもう一杯。救われるには,自分で自分を救うしかないんだ。あの子はわたしに手引きを求めてくるが,口先だけの,害にしかならない戯言以外になにを与えてやれるだろう? 自恃か。このわたしも自分に頼るしかないなら,どんな救済の望みをもてるというのだろう? なにからの救済だろう? 無為か。あてのない人生か,頭部に銃弾を受けることか。」(p.274)
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