2021-05-09

読んだ本,「金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫」(内海健)

  昨年末に大佛次郎賞を受賞したという「金閣を焼かなければならぬ」(内海健 河出書房新社 2020)を読了。図書館に予約して半年近く待った。ちょうどのタイミングでEテレの「100分で名著」で平野啓一郎が「金閣寺」を取り上げている。この連休は三島由紀夫に支配されてしまった気がする。

 著者の内海健氏は精神科医で,金閣寺に火を放った青年僧の林養賢と,この放火を小説「金閣寺」に描いた三島由紀夫の二人を精神病理学の視点で分析している。哲学や文学の深い知見で彼らの精神世界を探訪し,そして交錯させた深い洞察に満ちた本で,実にスリリングな読書の時間を過ごした。

 青年僧の幼少期からその死までを辿り,それと並行するように三島由紀夫の人生と「ナルシシズムの球体」を描き出し,やがて「離隔」というキーワードのもとで二人の精神世界が交錯する。素人がいだく三島の自決の「なぜ」への精神科医としての解答も鮮やかだが,読後感は決して軽いものではない。

  どこまで理解できたのか自信はないが,少なくとも「金閣寺」を読む上で大きな指標を与えてくれた。「金閣寺」の主体は林養賢をモデルにした「溝口」の一人称の「私」だが,そこに三島由紀夫が重ねられていく。

 「離隔を突破するためには,さまよい出てきた金閣を滅ぼさなければならない。それは影を持たない,亡霊のごときものである。冥界へと送り返し,墓標を立てやらねばならぬ。そうすれば,私の世界は外へと開かれるだろう。だが,それを滅ぼす時,自分自身もまた冥界に連れ去られるのかもしれない。なぜなら金閣は,私の存在を包み込むものだからである。/それでもやはり,このナルシシズムの球体は破砕しなければならない。たとえそれが自分自身の世界そのものであっても,生きるためには一旦は消滅させなければならないのだ。炎上するとき,それはこの上もない美をまとうだろう。そしてしばしその影を水面に映し出すだろう。だが,金閣が焼け落ちたあと,はたして私は生き残るのだろうか。」(p.179)

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