学ぶこと,感じることが多く,要領よくまとめることはあまり意味がないと思うので,「バチラー八重子の生涯」で中野重治が八重子の短歌を評した文章が紹介されているのを忘備として孫引きする。掛川源一郎はこの部分を「さすがに卓見」だと書いている。
「第一に彼女はアイヌである。(略)外から植えつけられた異民族風なものを表現手段としながらそれを突き破っているものが詩として最もすぐれているが,それらはアイヌとしての特性の最も強く現れているものである。(略)このアイヌ的なものは,詩の形そのものが象徴しているような政治的権利,経済的能力,文化的享受を剥奪された被圧迫民族としてのものである。しぜんそれは反逆的なものである。/第二の点,クリスチャンとしての彼女がそこへ絡みついている。(略)彼女は熱心なクリスチャンとして,アイヌの悲しい運命のために泣いているが,この涙は彼女をアイヌのためのキリスト的祈りへ外れさせている。そして最もキリスト教的であるとき再び彼女は詩人として低下している。詩人として高まるとき彼女は異端者である。異端者,異邦人,アイヌ神話の信者,アイヌ神話の英雄のほめ歌うたいとして彼女は並びなき詩人である。」(p.134)
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