2025-04-02

読んだ本,「富士山」(平野啓一郎)

 久しぶりに平野啓一郎を読む。短編集「富士山」(新潮社 2024)を読了。ここのところ,ラテンアメリカ文学全集をせっせと(?)読んでいたので,あまりに現実的な小説世界がものすごく新鮮に思える。「マッチング・アプリ」や今風の「かき氷」が,小説家の言葉を通して眼前に立ち上がるのに戸惑いさえ覚えてしまうのは,なぜだろう。読書浦島状態? 青年が犬に変身したり,大統領が横暴なふるまいをする世界に脳というよりは身体が馴染んでしまっていたということだろうか。そんな自分の日々こそ小説になりそうだ。

 そんなことはともかく,「富士山」「息吹」「鏡と自画像」「手先が器用」「ストレス・リレー」の5編をどれも至極面白く読んだ。なかでも「息吹」は衝撃的でさえある。平野啓一郎の分人主義が進化すると登場人物はこういう風に描かれるのか,というのが最初に抱いた印象。自らの身体のうちに備えられた複数の人格が,複数の世界に分散している? SFは世読まないので,パラレルワールドの論理が破綻していないのか気になるけれど,小説のラストは私には不可解だった。思わず作家本人の解説を探して,解釈は読者に委ねる,みたいなコメントにそりゃそうだろう,と思いつつやや呆然としてしまった。

 「鏡と自画像」は重いテーマの中でドガの自画像をめぐる考察に惹きこまれた。「僕はまた,ドガの自画像を見た。画家はだれのために,自画像を描いているのだろう? それを見る人間は『誰でもいい』のだろうか?/他人と現実の世界で接する時,僕は彼らの自画像と向き合っているのだと考えた。僕も,鏡に映った自分の姿を,他人の前で再現しようとしている。僕は,鏡に映る僕は,僕が微笑むから微笑み,顔を顰めるから顰めるのだと,当たり前に信じていた。しかし,本当は逆なのだろうか? 鏡の中の僕が微笑むから,他人である僕も微笑むのだろうか? それは同時なのだろうか?...(略)」(p.138)

  「ストレス・リレー」はここまでの読書の心苦しさを痛快に吹き飛ばす面白さ。ちょっと救われた気もしないではない。

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