2025-07-25

2025年7月,東京六本木,「死と再生の物語 中国古代の神話とデザイン」

  泉屋博古館東京で27日まで開催されている「死と再生の物語 中国古代の神話とデザイン」展を見てきました。「物語」には「ナラティヴ」とルビが振ってあります。中国古代のすぐれた技術によってつくり出されたさまざまな文物の「斬新で刺激的な」(チラシより)デザインをたどり,それらを生み出した思想や物語を展観する,というもの。館蔵の青銅鏡が展示の中心です。

  展示は「動物/植物」「天文」「七夕」「神仙への憧れ」という4つのセクションで構成されています。泉屋博古館学芸員の山本堯氏のスライドトークの日に出かけたので,詳しい解説を聞けてとても面白い体験となりました。古鏡の文様といえば四神とか三足烏くらいしかピンと来なかったけれど,こんなにも饒舌な物語が背景にあったとは。

 特に面白かったのが伯牙(はくが)と子期の「伯牙絶弦」のエピソードなんだけど,それはそうとしてなんで鏡の文様に? それは鏡とは陰のものなので,「伯牙」の発音が「丙午」に通じてとても陽の気にあふれているから,とのこと。「丙午」はよいイメージはなかったけど,「丙」も「午」もどちらも強い陽の気を持つ字なのだとか。ちなみに来年は丙午ですね。

 もう1つ,尾竹国観「黄石公張良之図」は能曲「張良」の元ネタの逸話を描いたもの。これはワキが大活躍する演目らしいので,ぜひ,福王和幸師のワキで見てみたい。

2025-07-22

2025年7月,ベルリンフィル(名古屋)・石川県立図書館・アンティークフェルメール(金沢)

 7月初に名古屋と金沢に短い旅程で出かけてきました。名古屋はグスターボ・ドゥダメル指揮のベルリン・フィル特別公演を聴くために。初めての愛知県芸術劇場コンサートホールでベートーヴェン「エグモント」・チャイコフスキー交響曲第5番というプログラムを堪能。コンサートマスターの樫本大進も素晴らしかったし,とにかく本物のドゥダメルだ!という全き素人の感激の一夜だったのでした。
 一夜明けて名古屋から金沢へ。敦賀で北陸新幹線に乗り換えなくちゃならない。新幹線は快適だったけど,乗り換えなしで特急一本で行ける方が楽だったような。2年ぶりの金沢では石川県立図書館へ行ってみました。あちこちのメディアで話題だし,押さえておかないと。広くてきれいでおしゃれな図書館。蔦屋風? こんな図書館が近くにあったらいいなあ。企画展示が面白かった。(これはチラシ。) 

 体調が万全ではないのであまり歩き回らず,懐かしい友人とおしゃべりしたり,うつのみや書店で古書市を眺めたり。そしてアンティークフェルメールも2年ぶりに訪ねました。店主の塩井さんはロンドンから戻ったばかりということで,店内には届いたばかりの荷物があちこちに。1820年代のカラフェを1つ手に入れて,フラワーベースとして楽しむことにします。鉛を含むガラスのカットが美しく(底面のカットが何とも素敵),暑い時期なのでグラジオラスを短く切って生けてみました。こんな色のグラジオラスはちょっと珍しいかも。

読んだ本,「二十四五」(乗代雄介)・「平家物語の合戦」(佐伯真一)

 積読を片っ端から読み進める一方で,面白そうな新刊や読書サイトのお勧めをつい図書館に予約してしまう。その結果,時間はたっぷりあるのに集中力が続かない散漫な読書をしてしまっている。なんとかしなきゃと思いつつ,とりあえず読み終えた本は記録しておかないと。
 乗代雄介「二十四五」(講談社 2025)はあっという間に読み終える分量で,そして読み終えて物足りなさを感じる物語だった。その物足りなさは分量ではなくて読み手の中への深度のこと。 レビューなどには「十七八より」(2015)の人間関係を押さえておいた方がよい,とある。読んだはずだけど記憶にない。本作を読んで漠然と「眼科医院の2階のおばさんの書庫」は思い出したのだが,どうにも景子とゆき江の物語の核心をつかめないまま読み終えてしまった。

 仙台の地底の森ミュージアムや雷神山古墳など,今作にも魅力的なplacesが登場する。地底の森ミュージアムはもう随分と前に一度行ったことがある。また行きたいなあ,というのと,作家である景子のこんな独白が心に響いた。ただ,それだけかな。「何かについて書き残すということは,遅かれ早かれ自分の間違いを思い知るということなのだから。」(p.66)

 「平家物語の合戦 戦争はどう文学になるのか」(佐伯真一  吉川弘文館 2025)はとても読み易いが深い内容の1冊。平家物語全体の流れに沿って,物語の背景と史実を比較しながら「戦争を描く」こと,「文学とは何か」を読者に問いかけてくる。返却期限が迫ってしまってほとんど飛ばし読みだったので,近いうちに購入して再読するつもり。