イザベル・アジェンデ「日本人の恋びと」(河出書房新社 2018)を読了。今年まだ寒いころに新聞の書評欄に掲載されていたのを読んで惹かれたもの。手にしたとき,まずゴッホのカバー絵の美しさに心躍る。
イザベル・アジェンデを読むのは初めて。「精霊たちの家」が池澤夏樹編集の世界文学全集に所収されていて,ずっと気になっているのだが,「ラテンアメリカ文学」の旗手という認識だったので,この物語にはちょっと面喰ってしまった。
アメリカの老人ホームが舞台となり,80台の謎めいた女性アルマの「生涯の愛」がミステリー仕立てで語られていく。愛の対象は日系人のイチメイ。モルドバ出身の若い女性イリーナが語り手となる。出版社の惹句には「現代の嵐が丘」とある。
なにしろ盛り沢山なストーリーで,頁を繰る手を止められない。老い,ユダヤ人迫害,移民問題,児童ポルノ,同性愛などなど,読者は忙しい。「老人ホームに住む家族」がいて,自分が「日本人」の読者である私は,アルマとイチメイの愛の物語を息苦しく感じる場面も少なくはなかったが,読書の至福を味わえたことは間違いない。
ところで,どんな愛の表現よりも印象に残ったのは,こんな場面の一節。老いることの醜さ,恐ろしさ。夫のナタニエルが撮った若いころの自分をモデルにした写真展の会場で。
「当時のモデルのまま見てもらうほうがいい。いまの老婦人として人に見られるのはいやだという。うぬぼれているわけじゃなく,控えめにしていたいのと,彼女はイリーナにうちあけた。自身の過去の幻像を見返すだけのエネルギーがない,裸眼で見えなくてもカメラが暴露しかねないものを,アルマは怖れたのだ。」(p.176より引用)
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