2014-08-31

2014年8月,夏の思い出,金沢点描

 インドから帰って,怠惰な夏休みを過ごしてしまいました。短い時間でしたが,金沢にも行ってきました。いくつか印象的だった出来事を忘備録として。

 金沢の21世紀美術館は相変わらず大変な人出。すっかり世界的な観光スポットです。で,へそ曲がりは行列の「レアンドロ・エルリッヒ」展はパス。お目当ては「好奇心のあじわい 好奇心のミュージアム フードクリエイション+東京大学総合研究博物館:Chamber to Taste Curiosity」です。「驚異の部屋」の手法を使って「あじわい」を「見せる」展示はとても面白いし,理屈ぬきで美しい。来た甲斐があったというもの。
 
 他には石川県立美術館の尊經閣文庫名品展で国宝の『類聚国史』などを。26年ぶりの公開ということです。加賀人形の流れを受ける伝統工芸の塑造・桐塑人形の特集展示も。
 
 県立能楽堂では観能の夕べを楽しむ。狂言「舟ふな」と能「生田敦盛」という番組です。狂言は太郎冠者を演じる少年が素晴らしく上手。敦盛は当時十六七の美少年のはずが,なぜか小柄な女性(声からすると妙齢?)が演じていて,ちょっと違和感があったかも。とはいえ,入場料も格安の普及公演で会場は超満員。さすが加賀宝生の土地柄です。能楽堂の隣の旧陸軍金沢偕行社の建物。

2014年8月,夏の終わり,龍岩素心の開花

 とうとう夏休みも最終日。嗚呼,という溜息がついつい出てしまう。PENはズームレンズが故障していたらしく,無事修理を終えて戻ってきました。今年もなぜかこの酷暑に開花した龍岩素心の花。昨年よりも花弁が白いのはなぜだろう。

2014-08-20

2014年8月,インド(6),ジャイプル・シティ・パレス/ジャンタル・マンタル

 さて,ジャイプルで次に向かったのはシティ・パレス。建物はムガール様式とラジャスタン風の融合ということ。実は,現地ではもはや何が何の遺跡なのかよくわからなくなってました。宮殿なのか寺院なのか,いつの時代の,どの宗教のものなのか。
 
 今回の駆け足の旅行では,仏教遺跡は一つも含まれていません。それなのにこの混乱ぶり。インドをすべて見るというのは,どれだけ時間があっても足りないんじゃないか,とそんなことを感じ始めたインド滞在5日目。 
  ところでこのシティ・パレスは今回の旅行で唯一の博物館です。展示の数はそれほど多くはありませんが,細密画やマハラジャの宝石,武器などなど。世界最大という銀の壷は,王子が英国旅行の際にガンジスの水を入れて運搬したものだそう。ここには2つ展示されていましたが,私はこれと同じものを昨年アムステルダムで絶対に見た!
 
 ところが,どれだけ頭をフル回転させて記憶を辿っても,海洋博物館で見たのかライクス・ミュージアムの地下で見たのか思い出せません(泣)。日本に帰ってから両館の所蔵目録などをHPで検索してみたものの,あまりに膨大でそれらしきものに行きつけず,がっかり。どちらにせよ,インド本国と東インド会社のアムステルダムの2ヵ所で同じものを見れたのはうれしい。海外旅行をして文字通り,「時空を超える」体験をしたなあと実感です。
 
 さて,最後に向かったのがシティ・パレスからほど近い天文台・ジャンタル・マンタルです。タージ・マハルと同じくらい楽しみにしていた場所。ジャイ・シンが約300年前に造った精密な観測装置は,現在も驚くほどほぼ正確に観測できるのだそう。秒単位で計測できる日時計。
 
 
  全体像はこんな感じ。ところで,この天文台を撮影した面白い写真集があります。撮影したのはフリオ・コルタサル。この写真集と,それを入手した経緯についてはまたいずれ。
  さて,これで今回のツァーの見学ポイントはおしまいです。遅目の昼食のあとはアーユル・ヴェーダ体験やら買い物やら自由行動となりましたが,どうにもカメラの調子とともにお腹の調子が悪くなってしまった私はホテルで休憩することに。ゆっくり休んで夜のインド舞踊鑑賞には復活!カメラはついにシャッターが全くおりなくなって,美しい踊り手さんたちの写真を撮れなかったのは残念でした。

 5日間の短い滞在でインドに「はまった」というのも気恥ずかしい気がしますが,なにしろ全然物足りなくて,また絶対に来たい!と感じたのは事実。今度は仏教遺跡も見てみたい。そして何より,この国はどんな風に変わっていくのだろう,いや,未来永劫このまま変わらないんじゃないか,という思いの顛末を確認したい。

 「インドの未来がインドを統一しているのである。(略)古い国,歴史の国というよりも,存在理由は,実は未来の歴史にこそあるということが,来てみてはじめてしみじみとわかった。平和が事実として必要な所以である。」(「インドで考えたこと」,堀田善衛著, P108より引用)

2014-08-19

2014年8月,インド(5),ジャイプル・風の宮殿/アンベール城

 ジャイプルではマハラジャの宮殿ホテルに滞在。壁が真っ赤で少々落ち着かない部屋でしたが,超がつくほど快適です。ショップにはジャイプルの有名なジュエラーのジェム・パレスも入っていて,物欲にかられます。インドで買ってきたものについてはまた稿を改めて。(大したものは買ってない。)
 
  ジャイプルで最初に観光に向かったのはハワ・マハル(風の宮殿)。この街は100年前にここを訪れた王子を歓迎してすべての建物がピンクに染められ,ピンク・シティと呼ばれています。

 雨上がりの午前中,ピンクとレンガ色の中間のような色に見えるその建物の前に立つ。ジャイプルの王妃や貴婦人が俗人の目に触れることなく,この建物の窓から街路の祭りや行列を眺めていたといいます。カメラを向けると,窓の向こうの美しき瞳と視線が交錯する。この街には過去と現在の区別がない。

 次に向かったのはジャイプルから約11キロのアンベール城。丘の上へはジープに乗り換えて登ります。象のタクシーも観光客を運んでいますが,数年前に痛ましい事故が起きて以来,数が制限されているのだそう。


 美しい庭園や宮廷,そして城壁(万里の長城みたい?)。猿がたくさん,悠然と観光客を見下ろしています。襲ってはこないけど,ちょっと怖い。そして蛇使いの見世物も。左は本物,右の蛇はゴム製のおもちゃだった。
  この後はジャイプルの市街へ戻ってシティ・パレスと天文台ジャンタル・マンタルを訪れるのですが,旅も大詰め,少し疲労がたまってきたようです。ツァーの同行者たちにも体調を崩す人が出てきました。

2014-08-16

2014年8月,インド(4),アグラ・アグラ城塞/ファテープル・シクリ

 タージ・マハルを後にして向かったのがアグラ城塞。妻の霊廟タージ・マハルを築いたシャー・ジャハーンが息子に皇帝の座を追われ,城の塔内に幽閉されて7年間,そのタージ・マハルを眺め続けてこの世を去った場所なのだそう。残酷なのかロマンチックなのかよくわからないけれど,不穏な気配を感じます。最初の門をくぐると敵の侵入を阻む坂道。

 大理石の透かし彫りや,赤砂岩の植物文様の浮彫がとてもきれい。どの遺跡も,想像していたよりずっと広大です。現地ガイドさんについて効率よく回っているはずですが,かなり歩きます。このあたりで,PENのレンズをズームにするとシャッターがおりにくくなり,たびたび異音もするようになってきました。かなり焦りながらも,不思議なインド風中華料理(中華風インド料理?)の昼食をとって,アグラを出発します。
 
 アグラからジャイプールに向かう途中,ファテープル・シクリに立ち寄ります。ムガル帝国のアクバル大帝が遷都したものの,水不足で数年で立ち去った都の廃墟です。ガイドブックには「幻想的廃墟」とあります。

 確かに幻想的だけれど,このスケールの大きさには圧倒されます。これだけの都を造営しながら,数年で立ち去ったほどの水不足とは一体,どれほどの脅威だったのだろう。

 「インドの自然が人間に対してどんなに邪慳で無慈悲,かつ事実として脅迫的であるかを云うことはむずかしい。これはわれわれにはまったくなじみのない土地である。この土地で,人間が人間であることを証明し,生きていることの意味を見出すためには,思想,宗教が至高最高にして不可欠なものとなるということは,それほどに理解に困難なことではない。」(「インドで考えたこと」(堀田善衛著)p.79より引用)

2014-08-13

2014年8月,インド(3),アグラ,タージ・マハル

 アグラの朝は土砂降り。スーツケースに押し込んできたレインシューズとコートを纏ってタージ・マハルへ向かいましたが,バスを降りると雨があがっています。これも日頃の行いの賜物(?)ということにして,南門からタージ・マハルへと向かいます。
 
  門の手前からシルエットが見えてくると,事前にあれこれ仕入れた知識などどこかへ吹っ飛んでしまい,ただただ呆気にとられて夢中で写真を撮るばかり。

 雑誌PENのイスラム特集では「世界一有名なイスラム建築」となっていました。あまりにも美しき墓廟です。白大理石に宝石の象嵌細工,信じられないほど細かい透かし彫り。完璧な左右対称の建造物とその配置。ああ,来てしまった,タージ・マハル!
 
  建物の裏側に回ってみると,ガイドブックには載っていないアングルで楽しめます。川のほとりに立っていたんだ。ヤムナー河はやがてガンジス河に流れ込むと聞くと,その表情も急に聖なるものに見えてきます(単純)。

 公園の中にはあちこちにインドの犬。飄々としています。

2014-08-11

2014年8月,インド(2),デリー・インド門/フマユーン廟/クトゥブ・ミナール

 デリー観光はインド門から。第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士を追悼するために,パリの凱旋門を基に設計されたというモニュメントです。最初の観光ポイントということもあって,ふむふむ,くらいしか感慨がわかない。周囲はきれいに手入れされた庭園が広がります。
 
 次に向かったのがフマユーン廟。ムガール帝国二代皇帝フマユーンの墓廟です。1565年建設,のちにタージ・マハルの祖型になったというイスラム様式の壮麗な建物というのがガイドブックの説明。おお,インドに来たな,という感じ。デリーは気温は日本の夏とさほど変わらないけれど,陽射しと湿気が強烈です。

 そしてデリーで3つ目の観光はクトゥブ・ミナール。これは中世北インドに侵入したイスラム教勢力が建立したモスクと尖塔などの遺跡です。13世紀初の建立ということ。もともとあったヒンドゥー教の寺院を破壊した石材を使っているので,ヒンドゥーの神々の像がえぐられた跡があちらこちらに見えます。尖塔の外壁にはコーランの文字が刻まれています。
 
 ゆっくり3か所をめぐってターリー料理(思ったほど辛くない)の昼食の後は一路アグラへ向かいます。
 
 さて,イギリス領インド,ムガール帝国の栄光,ヒンドゥーの寺院の痕跡。ほんの短い時間でこの3か所を回ったわけだけれど,途中,美しく整備されたニューデリーの官庁街から,サウスデリーへ近付くにつれてあまりに混沌としてくる(そして驚くほど汚い)街並みを車窓から眺める。車はクラクションを鳴らすのが礼儀だといわんばかり。車道上の牛には5分くらいで驚かなくなりました。
 
 堀田善衛「インドで考えたこと」(岩波新書)を繰り返し読んでみて,このわずか数時間の経験は何だったのか,おぼろげながら教えられた気がしています。
 
 「要するに『永遠』なんだ,これはまったく始末におえんわい」(P.42)
 「歴史は直線的なものなどでは決してなくて,様々な次元が,古代の次元,中世,近世,近代などの諸次元が重層をなしていて,その切り口である現在という次元,現在という断面には,あらゆるものがむき出しになっている,そういうものではなかろうか。」(pp.44-45「抽象的第一日」より引用)

2014-08-09

2014年8月,インド(1),デリー

 インドへの短い旅から帰ってきました。一体,何から手をつけて何から書けばよいのか途方にくれてしまう。「どうだった?」と聞かれたら「凄かった」としか返答できないのです。そして「何が?」と聞かれたら「全てが」としか返答できない。
  途中,カメラのズームレンズがおかしくなってシャッターがおりなくなり,最終日にはお腹の調子もおかしくなって日本から持っていった薬のお世話になり,観光地では群がってくる物売りがあまりにしつこくて,変てこなおみやげをいくつも買ってしまった。それでも,嫌な印象はまったくなくて,また行きたいと思っている自分にちょっと驚いてもいます。少しずつ整理しながらアップしていきます。

 出発前と旅行中に読んでいたのは「インドで考えたこと」(堀田善衛著,岩波新書)。初版が1957年ですから,半世紀以上も前に日本人が彼の地で考えたことなのだけれど,ちっとも古びていないどころか,教えられることがたくさんありました。

 「インドでは一切の廃墟が生きている。村の人たちは,観光客用説明というのではなくて,それらの廃墟についていくらでも無限に,そして実に楽しげに,現在に生きている信仰の対象として話をすることが出来る。それは当方が気持ちがわるくなるほどにそうなのである。そうなれば,バカでもチョンでも少しは考えなければならなくなる。われわれの文化創造の情熱の基礎は何に根差すものであるか,と。」(p.68より引用)

2014-08-01

番外編・お知らせ

  楽しかった出雲への旅から,約3週間。念願の夏休みに突入して,明日から旅に出ます。今度はインドへ。意図せず,スピリチュアルな旅(?)が続きます。初めてのインド体験。不安がいっぱいなので,初心者向けのツァー参加です。デリー・アグラ・ジャイプールをめぐる弾丸6日間。戻ってきたらまた旅行記をアップしますので,よかったら遊びにいらしてください。では,行ってきます!