5月最後の日曜日に,新国立劇場にでかけて「プロメテの火」を見てきました。首藤康之の舞踊が目的だったので,公演の内容をよく理解していませんでしたが,江口隆哉・伊福部昭による日本モダンダンスの傑作作品の復活公演ということ。1950年初演で50年ほど上演が途絶えていたらしい。
あ,だからポスターの首藤康之と中村恩恵の写真は隅っこなわけだ,と会場にきてやっとわかりました。会場には矢口氏の門下生だったり,舞踊の研究者など「再演」に深い意義を見出しているらしき人たちがたくさんいて,私のような首藤康之のミーハーファンは何だか申し訳ないような気がしてきました。
第1部は短いソロのプログラムが3本です。中村恩恵の躍る宮操子(矢口夫人)振付の「タンゴ」(ドナートゥ曲)はさすがとしか言いようがない踊り。古さをまったく感じさせない情熱的な動きです。
そして第2部の「プロメテの火」に先立って,振付家のプレトークがありました。これは必要だっただろうか。初演時に比べて若いダンサーたちはスタイルもよく技術も上がっているけれど,心が足りない,と観客に向かって話すのです。その振付家は初演時の群舞の一人だったらしい。
「今の若いダンサーは」という考えをなぜ「今の観客」の前で話すのだろう。天邪鬼の私は,それなら再演しなければいいじゃないかとさえ思ってしまう。パンドラの函の中に精神力の高い昔のダンサーの踊りを閉じ込めておけばよいのだ。
予定時間をオーバーしたそのプレトークにすっかりテンションが下がってしまいましたが,第2部の幕が上がり,首藤康之が登場すると気分も復活。60年前のモダンダンスの動きは,見慣れたバレエの動きとまったく違い,重心が下へ下へと向かい,まるで昔のビデオ作品の上映を見ているかのよう。
第2景では,火を手に入れたプロメテのソロが圧巻。歌舞伎の動きも取り入れられているという振付は,火を掲げたポーズにも確かに日本的な土着の精神性が感じられて,現代の視点からは逆に新鮮です。第3景は圧巻の群舞で,その迫力に思わず拍手が起きる。
そして第4景「コーカサスの山巓」では,プロメテは岩に鎖で縛りつけられて黒鷲に啄まれるのですが,動きのない首藤康之の立ち姿の神々しいまでの美しさと言ったら!中村恩恵が演じる牝牛の姿に変えられた美少女アイオとは視線を交わすだけですが,いつもの二人の舞踊が思い浮かぶほど,崇高な魂の交感がそこには間違いなくあるように思えました。
最後まで見終えて,私にとっては首藤康之と中村恩恵の「プロメテの火」であったのだ,と深く得心して帰路に着きました。初演時は川端康成が小説「舞姫」に舞台のことを描いたらしい。ならば首藤の舞踊も遠い未来まで語り継がれるとよいなあ,とその記憶の現在に立ち会って思う。
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