この夏の読書の忘備として。久しぶりの島田雅彦。文芸誌で連載中は「黎明期の母」というタイトルだったのが,単行本のタイトルは「カタストロフマニア」とはこれいかに。カバー絵もぴんとこなくて,あまり期待せずに読み始めたのだが,一気に読み終えて久しぶりの島田ワールドに大満足。
雅彦ファンは同志に合図を送りたくなるので(!)通勤電車ではカバーをかけずにバッグから取り出して持ち歩いていた。気付いてくれた人がいただろうか。ただ一つ,ミロクが地下鉄で移動する場面は微妙。天敵(?)の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を一瞬思い浮かべてしまった。
『漁師や農民にも,サラリーマンや学生にも,ホームレスやアーティストにも,病人にもギャンブラーにも,日課というものがあり,一年の暦がある。天候や気分に左右されることもあるにせよ,一喜一憂しながら,前進と後退,勝利と敗北,幸運と不運を同じだけ重ねる。この先自分はどうすればいいかを考えることさえもルーチンの中に入っていた。だが,ひとたびこのルーチンを奪われると,人はとたんに駄目になる。退化の道をまっしぐらに辿り始める。
―このまま黄昏ちゃっていいのか,人類。
ミロクはふとそんな独り言を呟きながら,窓の外を見る。朝日を受けた海面が鱗状に光っていた。地球が自転する限り,黄昏と黎明は交互に巡ってくる。誰が生存の適者で,誰が淘汰されるかは結果論でしかない。人は特定の目的のために未来に向かっているつもりでいるが,その目的も多様で,ある人の目的をほかの人が妨害したりするので,未来は誰の思い通りにもならない。…未来は誰にも予測できない意外な方向へと転がってゆくのである。』(pp.239-240より引用)
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