2018-01-08

2018年1月,東京白金,「装飾は流転する」展

 タイトル通り,刺激的なモダンアートの展覧会。庭園美術館の展示空間としての魅力を最大限に引き出した展示でした。面白かった!の一語に尽きます。Decoration never dies, anywayという英文タイトルがおしゃれ。

 「装飾」は弔いや呪術とともに生まれ,時を経てもなおその魔力的な魅力に人は取りつかれているのだ,という明確なメッセージが伝わってくる作品ばかり。ゴム製の吸盤には見えない「カットグラス」という作品は高田安規子・政子。2階のIn the Wardrobeも面白かったな。「切り札」はトランプカードに刺繍を施したもの。

 ここに記録として残しておく写真を選んでいたら,3枚とも彼らの作品でした。1月20日まで青山のギャラリーvold+で個展が開催中なので,ぜひ行ってみよう。
  他にもコア・ポアやニンケ・コスターなど,初めて知る作家ばかり7人のそれぞれの魅力を堪能。山縣良和はファッションブランドの主宰なのだそう。谷川俊太郎が寄せた詩の展示などもあり,装飾とは,ファッションとは,という鋭い問いかけの人という印象。 

2018-01-06

読み返した本,「わたしたちが孤児だったころ」「忘れられた巨人」(カズオ・イシグロ)

  カズオ・イシグロを読み返すのもこれで一段落にしよう。「わたしたちが孤児だったころWhen we were orphans」は一番好きな作品。主人公の冷静な語りに引き込まれ,「わたしたち」はみな孤児だったことを,そしてこれから孤児になるであろうことを知る。
  例によって,と言えばよいか。初読以来,この小説の舞台の大半は上海の貧民街だと思っていたが,そこで主人公が徘徊するのは物語後半の一部分に過ぎなかった。この「至高の冒険譚」(表紙カバーより)を読むことは,私自身の記憶と過去をめぐる冒険譚でもあった。

  「いいか,よく聞くんだ。何を暗いことばっかり言ってるんだ。きみはまた息子に会えるよ。ぼくが責任を持つ。それから,ぼくたちが子供だったころ,世界がどれほどよく見えたかってことについてだけど。これは,ある意味ではまったくのナンセンスだよ。大人たちがぼくたちにそう思わせたというだけのことなんだ。子供時代のことにノスタルジックになりすぎてはいけないよ」(p.444より)

 もう1冊,ファンタジーという小説設定がどうにも苦手だった「忘れられた巨人The Buried Giant」に再挑戦。作家自身が,「これは単なるファンタジーではない」と発言し,ファンタジーを見下していると物議をかもしたのだそうだ。ならばなぜこういう設定にしたのか,よくわからない。再度読み通して,これは老夫婦のラブストーリーだと再確認したものの,「よくわからない」という感覚は読後の今もなお残る。

 「…わたしの話を聞いて,わたしたちの愛情には傷があるとか,壊れているとか考える方もいるでしょう。しかし,老夫婦の相互への愛が緩やかに進むこと,黒い影も愛情全体の一部であることを,神はおわかりくださるでしょう」(p.406)

読んだ短編,多和田葉子・松浦寿輝など

 
 年末の多忙と張り切りすぎた大掃除のせい(?)でお正月はすっかりダウン。パラパラと文学界1月号の頁をめくって過ごす。 年末の新聞の文芸評で多和田葉子の短編が紹介されていたのがとても興味深かったので,書店で求めておいたもの。
 
 多和田葉子「文通」は時間と空間と「その人の存在」のすべてがくるくると回転して,そのすべてが不確かな渦へ突き進んでいく不思議な小説で,それはまさに多和田葉子の世界そのもの。彼女の小説を読むときのいつもの興奮がこの短い短編にぎゅっと凝縮されているよう。
 
 主人公である陽太の文通相手である,血のつながらないいとこの浮子。恋人であるらしい舟子と,高校時代の同級生の輪田。この小説の中に確かに存在していたはずの彼らは,小説を読み終えたとき,私の眼の前に存在する「その人」として存在している(ような錯覚を覚える)。
 
 人の苗字を思い出そうとするときの言葉遊戯や,「遠いという感じは,猿がバイクに乗っているよう」などなど,正月ボケの頭をがつんとやられた。読書の至福を悦ぶ。
 
 松浦寿輝「穴と滑り棒の謎あるいは老俳人はいかにしてマセラティ・グランカブリオを手に入れたのか」もいかにも松浦ワールド全開の短編。というか,作家の長編と何度も格闘してきた読者としては,短くてもこんな世界を味わえるのか,とちょっと憮然とした感覚を味わった。
 
 どちらの小説にも「死」はその姿を確とは現さない。しかし,存在の不確かさを活字として読み進めた後で残るのは,畢竟,生と死の境界の曖昧さ,不確かな連続性への感慨といったものではないか。今年も正月に用意した白い百合の花の強い香が私の周りを漂う。  

2018-01-04

謹賀新年・古いもの・九谷焼の香炉

  二代徳田八十吉の美しい黄釉の香炉。色がとても好きで,一時ずっと箱から出して飾っていたのですが,珍しく来客を迎えたある年のお正月,件の客人はこの香炉の蓋を見て,「ハートの穴がかわいい!」と宣ったのです。

 まさか八十吉の香炉を,「ハート模様がかわいい」という眼で見たことがなかったので,大衝撃でした。それ以来,ハートにしか見えなくなってしまい,古いものを選ぶときに「かわいい」という見方をしたことがない私のささやかな矜持(?)を示すためにもずっと箱入りとなっていたわけですが,今年久しぶりに取り出してみました。うん,やっぱり好きだ。それでいいじゃん,というわけで,今年もよろしくお願いいたします。2018年が皆さまにとってよい年でありますように。