2018-11-03

読んだ本,「空港時光」(温又柔)

 作家は台北生まれで3歳で来日,日本語がほぼ母語なのだろうか。温又柔(オン・ユウジュウ)の「空港時光」(河出書房新社 2018)を読んでみた。台湾と日本の政治的・歴史的な背景がある程度は頭に入っていないと,あまり楽しめないかもしれない。逆説的に言えば,ボーダーレスな文学を楽しもうとするためには歴史や政治の知識が必要なのだ,ということ。今更ながら,はっとする。
ただ,幾つかのアイデンティティーを抱える作家が,まさに境界である「空港」を舞台にした小説ということで抱いた期待はあまり充たされなかったのが正直なところ。読み始めてすぐにこれが連作短編ではないことに軽く衝撃を受けた。

 1つ1つの短編が浅い。これらはどこかで絡み合ってくるのだろうと思って読み進めてもまったくその気配ななく,いろいろなパターンの台湾人と日本人が次々に登場する10篇の短編が並んでいるのだ。タイトルの「時光」が日本語のようで日本語でないように,どこかもどかしい読書体験だった。

 しかし,巻末のエッセイ「音の彼方へ」はとても魅力的な内容・文体。このジョン・トービーやスーザン・ソンタグの著書からの引用なども含まれる40数頁のおかげで私は温又柔をまた読んでみたい,と思う。台東のギャラリーでスペイン語で書かれた短冊を見つけた場面。
 
 「これを書いたひとは,どこからやってきたのだろう? スペイン? メキシコ? あるいは,もっと他の… いずれにしろ,ここに来た記念をスペイン語で綴るひとがここにいた。短冊の文字はその痕跡だ。そのひとは想像しただろうか。自分の書きつけた文字を読み,スペイン語だ,と日本語で喜ぶ人がいることを。ふしぎな興奮が募る。文字は,言葉の跡だ。書く,という響きが,掻く,と通ずることを思い知る」(p.174より)

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