2020-03-01

2020年2月,インド(3),ヴァラナシ・ガンジス河の夜と朝

  夕暮れに向かうヴァラナシの市街地。「はぐれないようについてきて」という現地ガイドさんと,頼もしくメンバーの最後尾を歩いてくれる添乗員さんに挟まれて,ひたすら歩く。翌日にヒンズー教の神様のお祭りがあるといい,大変な人混みの中を半ば呆然としながら進みました。いきなりディープ過ぎるんですけど。。モスクなど,撮影禁止のスポットには銃を構えた軍人さん(?)もいて,びびりまくりです。一人旅は絶対無理だ。いくら若い時でも。
 
  「迷路の道」と呼ばれる界隈を抜けると,突然視界が広がります。あっと息を呑む間もなく,煙があがる一角に足を踏み入れると,「火葬ガートです」とガイドさんの声がレシーバーから脳天に響く。知識として脳内にあるものと,今視覚に直接訴えるものは同じなのか。私が今見てるのは,死体を焼いている煙なのだ,という単純な戸惑い。傍らにはうずたかく薪が積み上げられている。 息を呑んだまま視線をずらすとそこには広大な川が流れている。
  出発前に読んだ小説(「百年泥」)のイメージを思い出すかも,などという甘い予想は吹き飛ばされるような衝撃でした。そのまま,ヒンズー教の夜の祈りの儀式である「アルティ」を眺める。昼間サールナートにたくさんいた,仏教徒の巡礼者もガンジス河に来るのかとガイドさんに問うてみました。仏教徒もお釈迦さまが沐浴したガンジスには来るけれど,ヒンズー教徒のように沐浴はしないとのこと。水ではなく,ガンジスの砂を大切に持ち帰るのだそうです。

 そして翌朝,まだ暗闇の中再びガンジス河へ。ボートに乗り,朝の沐浴風景を眺める。冷たい風に吹かれながら,生と死の流れの上を進んでいるんだと思うと,思わずじわっときてしまう。この1年の間に訪れた近しい人たちの死をやっと実感したような気もしてきました。ボートから降りて間近で見る沐浴風景は何というか生生しくて,ちょっとしり込みする。朝の儀式。

  やがて日が昇り,朝焼けのガンジス河。ガイドさんによると,遺灰を流すのはヒンズー教徒でも仏教徒でも構わないらしい。また来たいという想いと,今度くるときはここに流してもらうときかな,という想いと。

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