2020-04-24

読んだ本,「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」(ガルシア・マルケス)

  もともと在宅ワークと兼業なので,先の見えない自宅待機も何とか乗り越えられるかと思いきや,なんとPCが故障してしまうという未曽有(?)の事態に陥ってました。先代のウインドウズ7マシンをだましだまし使って冷や汗ものでしたが,やっと修理から戻ってきてほっとしているところ。
  そんなわけでドタバタと過ごしてしまい,あまり読書も進んでいない。沈みがちな気分が少しでも上がるようにと手に取ったガルシア・マルケスの「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」(野谷文昭編訳 河出書房新社 2019)をまずは読了。

 野谷氏が最終講義で語っていた「合わせ読みの楽しさ」を堪能できる内容。既読の短編もいくつかあるけれど,訳が違うと新鮮な驚きを味わえる。どれもマルケスの魅力全開で,「巨大な翼をもつひどく年老いた男」と「この世で一番美しい水死者」にとりわけ惹かれた。
 
 中庭でうごめく,汚らしい翼を持つ男を船乗りだと思いこんだ夫婦と,その正体を近所の女が見破る場面。「それでも,生と死に関係することなら知らないことはないという近所の女に見に来てもらった。この女は一目見たとたん,二人の勘違いを言い当てた。『天使だよ,これは』と女は言った。『きっと子供をさらう目的で来たんだ,だけどひどく老いぼれているものだから,雨に当たって落っこっちまったのさ』」(「巨大な翼をもつひどく年老いた男」p.136)

 こうして天使は堕ちてくるのか。

 あまりに美しい水死体に「エステバン」と名前をつける村の女たち。「ついにはこの世で一番可哀そうな男,一番おとなしく世話好きな男が哀れなエステバンだと言って大泣きする始末だった。だから男たちが戻ってきて,水死者が近くの村の者でもなかったという知らせをもたらすと,涙に暮れていた女たちの心に喜びの晴れ間がのぞいた。/『ああ,よかった』と彼女たちはほっとして言った。『この水死者はわたしたちのものだよ!』」(「この世で一番美しい水死者」p.149)

  こうして水死体は英雄となるのか。野谷氏はこの死体をチェ・ゲバラと指摘する(解題および最終講義)。読み終えて,チェ・ゲバラの若き日を描く映画を思い出してしまった。それについては次項で。

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