2024-04-09

読んだ本,「掠れうる星たちの実験」(乗代雄介),「フェルナンド・ペソア短編集 アナーキストの銀行家」(フエルナンド・ペソア)

 
 乗代雄介が「掠れうる星たちの実験」(国書刊行会 2021)の中でペソアの短編集を取り上げていて,その書評自体に惹かれたし,導かれて読んだ「フェルナンド・ペソア短編集 アナーキストの銀行家」(彩流社 2019)もとても刺激的な1冊だった。

 乗代雄介はこのペソア短編集の冒頭の「独創的な晩餐」についてこのように書く。「(略)彼が『独創的な晩餐』を,うっかり完成されてしまった完璧なものの不完全なコピーと考えていたことは想像に難くない。着想と書かれ始めた文章の間にはずれがある。異名者という形式が忘我の賜物だろうと責任逃れの手続きだろうと,それは着想をする『自分』と『書く者』のずれに由来するはずだ」(p.72)

 なるほど,ペソアは詩とか断片でしか馴染のない(タブッキの小説の中に現れる姿は別として)読者である私にとって,そうか,ペソアにはこういう短編があるのか,というのがまず驚きだったし,ペソアと書き手である異名者(「独創的な晩餐」の場合,アレクサンダー・サーチ)の関係性をこのように簡潔な言葉で表してくれるのは何より有難い指南だ。

 そうした前提を踏まえて,「独創的な晩餐」はあまりにも衝撃的なラストに言葉を失う。
ほかにも,この短編集には読者をすんなりとどこかへ誘う物語は1つもない。とりわけ「夫たち」は男性本位の世界に対して声をあげる女性の声を生々しく描き,現代的と言ってもよいのかもしれない。ペソアの文章がはらむ「ずれ」を「正しく」理解することは難しいが。

 なお,乗代雄介の「掠れうる星たちの実験」にはサリンジャー論である表題作と,書物の大部を占める書評と,9編の短編(目次には「創作」とある)が収められている。「旅する練習」や「それは,誠」に昇華する着想や断片なのかな,と思いながら面白く読んだ。「八月七日のポップコーン」は「独創的な晩餐」と比するくらいの衝撃的なラストだ。

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