2025-06-30

2025年6月,6月の記録・展覧会・コンサート・能楽堂

 ちょっとPCを開くのが億劫な時間が続いてしまった。6月の記録を残しておかないと。展覧会は3つ。東京ステーションギャラリーで「タピオ・ヴィルカラ 世界の果て」展(4/5-6/15)。美しい北欧デザインを楽しむ。最後のグラスだけ撮影可。無色のガラスもよかったけど,ポスターイメージの色ガラスのボトルやプレートがとても素敵だ。北欧は行きたいリストでそれほど優先順位が高くないけれど,益田ミリのエッセイ「考えごとしたい旅 フィンランドとシナモンロール」(幻冬舎文庫 2024)など楽しく読んで,いつか行けたらいいなあと思うところ。

 世田谷美術館では「横尾忠則 連画の河」とコレクション展の「世田谷でインド」の2つを楽しむ。横尾氏の画業にはそれほど執心はないのだけれど,20年以上も前,この美術館の企画でアトリエ訪問とワークショップに参加したことがあって,やはり強烈なオーラが圧倒的だった。当時の担当学芸員氏にはその後もあれこれお世話になり,この春亡くなったその人の姿を探しながら展示室を廻る。2階のコレクション展はとてもエキサイティング!な展示。埼玉のメキシコ展に続いて,利根山光人のインドのスケッチに感動。関連書籍の展示には堀田善衛の「インドで考えたこと」も。横尾忠則の聖シャンバラシリーズは,そうそう,横尾さんはこうこなくちゃ,という感じ。楽しい展示だった。

 横浜ユーラシア文化館では「ゲルと草原の物語」展。展示は絵本の原画と生活道具がメイン。鼻煙壺は私のコレクションのものとよく似てる。こういうところに感激するんだな。展覧会の関連講演の「現代モンゴルにおける仏教実践と化身ラマ」を興味深く拝聴する。講師は国立民族学博物館の島村一平氏。チベット・モンゴル仏教についての深い講義だった。大仏師ザナバザル作の仏像の美しさ。ダライ・ラマ14世の後継者問題。

 サントリーホールでは「ハーモニーの共鳴 韓日友情の旋律」コンサート(6/17)を聴く。四谷の韓国文化院のHPを見て無料招待に申し込んで,いそいそと出かけたのだった。チェロの堤剛をはじめ,豪華な出演者に大感激する。

 そして国立能楽堂では定例公演(6/19)の狂言「秀句傘」と能「六浦」。今年は称名寺の薪能を見ることができたので「六浦」をとても楽しみにでかけたのだが。臨席の外国人観客(若い女性)がスマホをずっといじってるのだ。まぶしい画面がずっと視界に入って幽玄の舞台が台無しに。英語字幕を見ればいいのに(字幕はダークモードだから周りの妨げにはならない)。。会場の係の人は気づかないのだろうか。。佳境の序の舞に入ったのに,舞台も見ずにスマホをいじるその女性に対して,私はついに何かが切れました。手を出して小声でNo!と言ってやったら,すごい形相でにらまれた。。せっかくの観能が台無しだったな。

2025-06-05

読んだ本,「日向で眠れ」「豚の戦記」(ビオイ=カサーレス)


  「日向で眠れ」「豚の戦記」(ビオイ・カサーレス 高見英一・萩内勝之訳 集英社 1983)をようやく読了。途中,面白そうな新書や軽いエッセイ集に何冊も寄り道してしまい,集中力が続かず随分時間がかかった。というか,集中力が続かないから寄り道をしてしまったのかもしれない。

 「日向で眠れ」は主人公ボルデナーベと精神病の妻の物語。妻の変化の真相をつきとめようと懸命に探究するボルデナーベはやがて深入りして恐ろしい科学の領域に巻き込まれる。そして読者も魔力に引きずられるように物語の結末を知ることになる。これは幻想的なSFと読めばよいのだろうか。すがるような思いで訳者解説を読む。「(略)じつは訳者のようにきわめて注意力散漫な読者にも本を投げ出さずおしまいまで〈読ませる〉だけの魅力もちゃんと仕掛けてある。それは〈愛〉だ。」(p.326 萩内勝之)

 では「豚の戦記」も「愛の物語」と読めるのか。この小説の中では,ブエノスアイレスの若者たちがあちこち老人を殺す。若者対老人の戦争は1週間続き,初老の主人公イシドーロ・ビダルと老人仲間は凄惨な殺戮から逃れて身を寄せ合う。そしてビダルは戦いの中で息子を殺されるのだが,彼は娘ほど年の離れた若い娘ネリダを愛する決心をするのだ。

 病院の医者はビダルにこう語る。「このたびの戦争を通して青年が深く痛切に認識したのは,老人すなわち自分たちの未来,ということです。おれたちもやがてこうなるというわけでしょう。さらに面白い事実があります。青年はきまったように,老人ひとりを殺すことは自分が自分を殺すことに相当すると思うようになっているのです。」(p.301)つまり,この物語は世代間の闘争を描くものではない。ビダルの老人たちへの共感と,青年たちに向けた受容の精神が共存する〈愛〉の物語ということなのかもしれない。

 「老い」を実感する日々にこの物語を読み通すのはなかなかエネルギーが必要だった。ビダルのこんな独白はあまりに手厳しい。「老人は未来が残されていないばっかりに人生の大切なことをことごとく避けて通ろうとするのだが,青年にそれがどこまで分かっているだろう。〈病は即ち病人ではない〉ビダルは考えた。〈が,老人とは老いそのものであり,死ぬ以外に出口はない〉。」(p.302)

  この後に続くフレーズに救われる読者は私だけではないだろう。「(略)ネリダの家へと足を速めた。悟りの境地が夢の記憶のごとく消え去らないうちに着くためだ。正確には,自分のような年寄りを愛するなど夢想にすぎない,と言ってネリダに諦めさせるためであり,それは彼女をあまりにも強く愛しているがゆえであった。」(p.302) 

2025-06-01

2025年5月,横浜みなとみらい,「おかえり,ヨコハマ」

  久しぶりに桜木町にでかけて横浜美術館リニューアルオープン記念展「おかえり,ヨコハマ」を見てきました。2月からの長い会期で気になってはいたものの,何となく機会を逃してしまい,最終日直前にチケットを頂いたのでピューンと行ってきました。

 あれだけ広大で力強い(?)建築なので,ぱっと見た感じは変化がわかりにくいけれど,とにかく明るくなったのと,館内の什器がソフトな色調に統一されたのがとても気持ちよくて居心地が良くなった気がします。美術図書室は1階に移動して明るくカジュアルに完全リニューアルしてます。

 「おかえり,ヨコハマ」展はコレクションを中心に,関連する館外蔵の作品も多くて楽しい。横尾忠則のY字路と金村修のモノクロ写真が並んでいたりして「横浜」をキーワードに「横浜美術館を楽しむ」展覧会という感じ。

 この伝五姓田芳柳「外国人男性和装像」は2000年の「幕末・明治の横浜」展で初めて見て,不思議なほどその魅力に惹かれた作品。再会できてうれしい。確か図録があったはずと帰宅して書棚から発見。そうそう,この装丁もかっこよかったんだよな,と思い出しました。ほんと,ここのところ展覧会は記憶を辿る旅になってます。