2025-12-25

読んだ本,「研修生」(多和田葉子)

 多和田葉子の新刊「研修生」(中央公論社 2025)読了。大部なので時間がかかるかと思いきや,読み始めたら一気だった。とにかく面白いの一言。大学を卒業した「わたし」がドイツにある書籍取次会社で研修生として働く夏から冬への日々。職場の同僚や,旅で知り合った人たちと濃密に「ドイツ語」で関係を築きながら生活を送る。筆者の自伝的要素もあるとのことだけど,どこまで実際にあった出来事でどこからフィクションなのか,最初は読み手が主導権を握っているようでいて,終盤にかけては作者の掌の上で転がされたような読後感だ。

 日々の何気ないエピソードに,突然長い時間を経た視点が差し込まれることがあって,「わたし」はいつどこにいるのだろう,そして多和田葉子という小説家はどこから「わたし」のドイツの日々を見ているのだろう,と不思議な感覚に陥るのだが,小説のラストに辿り着いたときにその疑問は氷解する。

 いかにも多和田葉子というドイツ語や日本語の言葉遊び的な,しかし深遠な言語哲学のあれこれも面白く,こうやって彼女の小説は紡がれ始めたのだろう,と得心がいく。奈良で出会って再会したハンブルグ在住のマグダレーナとの共依存的同性愛関係が通奏低音のように胸に迫ってくる。二人はこの後,どんな人生を辿るのだろう。

 ちょうどクリスマスに読み終えたので,「わたし」がドイツで初めて迎えるクリスマスが近づく頃の一節。「クリスマスは毎日近づいてくるようで,遠ざかっていくようでもあった。クリスマスを遠ざけているのはわたしの心であったかもしれない。待ちわびている人がもしかしたら来ないかもしれないという不安から,どうせすぐには来ないだろうとわざと手の届かない未来に押しやってしまう心理と似ている。/十二月には会社の「クリスマス食事会」というものがあることを知った。(略)確か日本にも「忘年会」という飲み会があったが,それと同じようなものなのかもしれない。「忘年会」という言葉をあらためて思うと,年の苦労を「忘」れるために飲む,というのは消極的だという気がした。どうしてその年の楽しかったことを思い出して飲む「楽年会」ではないのか。わたしは今年起こったことで忘れたいことってあるだろうか。嫌なことも含めて全部保存しておきたい気がする。」(pp.452-453)
 

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