2013-10-22

2013年10月,東京六本木,鈴木清写真展「流れの歌、夢の走り」

 暑くなったかと思うと,大雨のあと急に秋が深まってきました。体調がよくなったり悪くなったりを繰り返し,日々思うのは年間を通して気温が20度くらい,湿度が低くていつも気持ちのよい風がふくところで暮らしたいものだ,ということ(人間としてどうなんだ)。

 そんな願望が満たされるわけがないから,いつものようにもう一つの世界に逃避を決め込む。先日は鈴木清の写真を見に行きました。タカイシイギャラリー  フォトグラフィー/フィルムは六本木AXISビルの2階。久しぶりに夕暮れ時の六本木を歩いていると,行き交う人たちと言葉が通じるだろうか,と異国の路地にいるような心細さに囚われます。
  非の打ちどころがない佇まいのギャラリーを訪れて,鈴木清のヴィンテージ写真に向き合います。2010年に東京国立近代美術館で開催された「百の階梯,千の来歴」展は彼の「写真集」という「書物」への指向性が前面に押し出された展覧会でした。今回も「流れの歌」と「夢の走り」のなかから24点が展示され,それらが1冊の作品集「流れの歌、夢の走り」として同ギャラリーから刊行されています。

 しかし,壁に掛けられた写真のほかに余分な情報が何もないスペースで1枚ずつに向き合うと,たしかにシークエンスの妙は彼だけの世界だと思うものの,それぞれの写真が持つ強烈な磁力に引き込まれていきます。「流れの歌:沖縄の民謡歌手 ナハ」の女性たちには,この世のものとは思えない妖気が漂う。

 先の2010年の写真展では「デュラスの領土 DURASIA」(1998)という写真集にくぎづけになりました。今では入手が難しいその写真集には,倉石信乃氏が詩を寄せています。近代美術館の展示室でその詩の一節を夢中でメモした紙をどこへやってしまっただろう。

 失くしてしまった紙片/詩篇。「展示室では鉛筆しかお使いになれません」という乾いた声の記憶。カルカッタの早朝の喧騒。メコン川に浮かぶヴェトナミーズ・ボートの光景。

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