2016-03-27

古いもの,ソウルで買ったもの

 ソウルでは小さな骨董商が集まる踏十里で買い物を楽しむ(前回2015年12月)。雑然としてるけれど,とにかく数が多くて楽しい店を見つけてゆっくり選んでみました。あまりに種類が多いので,李朝の木製品と狙いを定めて,こんな感じ。茶托も木の皿も李朝末期にお供え物をのせるのに使われていたものらしい。左は糸巻です。以前,京都の天神市でも買ったことがあるけれど,一桁安い!
  店舗の入口に数字が示されているのだけれど,店名もその数字も忘れてしまいました。店番のおじさんは英語はほとんど通じないので,身振りと電卓が頼り。ふう,やれやれという感じで支払いを済ませると,にこにこしながら「サービス!」と言って茶托を1つおまけしてくれて,やっほー!である。
 
  古いポシャギは仁寺洞で。白一色のものがほしくて見つけたもの。現代のミシンを使った量産品はたくさん店頭にあるけれど,手縫いの古いものはそれなりのお値段。そっと洗ってから,京都の高麗美術館の階段踊り場にかけてあるのを真似して,窓に架けてみよう。

2016-03-21

2016年3月,ふたたびのソウル,三星リウム美術館

 突然ですが,週末を利用して1泊2日でソウルに行ってきました。1泊2日で,というとほとんどの人から「韓流?」という反応が返ってくる。。そうではなくて,美術館・博物館をめぐる旅第2弾です。今回は一緒にまわってくれる素敵な友人と一緒なので,美味しい食事も楽しみの一つ(前回,一人旅の時は韓国料理は一切食べなかった)。

 何と言っても旅のハイライトは三星リウム美術館Leeum, Samsung Museum of Artです。2004年秋に完成したばかりのころ建築雑誌で見て,おお,なんだかすごいことになっている,と思った記憶があり,いつか訪れてみたいと思っていた美術館。今回,特別展のA homage to Korean Architecture: Wisdom of the Earthも面白そうなので,いざ。
  過去(Museum 1)がマリオ・ポッタ,現在(Museum 2)がジャン・ヌーベル,未来(Museum 3)がレム・コールハースの建築です。三者三様で,写真で見たときは「は?」という感じだったけれど,実際にその場に立ってみると,不思議と調和している感じ。まあ,個性的な建物が3つ並んでいると言ったらそれまでなんだけど。

 Museum 1の朝鮮陶磁や仏教美術は,博物館で見るのと違ってやはりその美しい展示方法にうっとり。Museum 2では,「韓国で見るリ・ウーファン」が実現してそれだけで大満足。そしてMuseum 3はコールハースの建築が最高!ロビーからの緩い下りのアプローチを進むと,目に飛び込んでくるのは黒いコンクリートの塊。炭とコールタール(コールハースだけに。あ,失礼)を混ぜ込んでいるらしい。

 Museum 3で開催中のWisdom of the Earthは韓国の伝統的な建築物を写真や模型や映像などで紹介する展覧会です。建物の雰囲気が存分に生かされていて,気分が上がります。12月に訪れた宗廟の映像作品が印象的。やはり宗廟大祭には是非行ってみたい。ほかに,海印寺などいつまでも網膜に残像として残る美しい建物の数々。

 Museum 1の吹き抜け部分に展示されているのはチェ・ジョンファの「錬金術」という作品です。ほかに,カフェの壁面がリアム・ギリックの作品で覆われているのですが,お茶を飲んでいる間,それが作品だとはまったく気づきませんでした。日常への軽やかな介入が作者の意図ということならば,fantastic!な手腕です。

2016年3月,東京汐留,イングリッシュ・ガーデン 英国に集う花々展

 パナソニック汐留ミュージアムのイングリッシュ・ガーデン展に駆け込みで間に合いました。とにかくびっくりしたのは,会場入り口のキュー王立植物園The Royal Botanic Gardens, Kewの見取り図。一体,この広大な植物園をすべて見て回るのにはどのくらい時間がかかるのだろう。
 
 会場の展示のメインは美しい植物画ですが,製作者の名前で展示してあるので,「植物の絵」を見るという意識よりも,「植物を描いた作品」を見るという意識に傾きます。18世紀,植物を記録としてだけでなく芸術として描いた作家たち。
 
 そして,なぜか会場で私の頭の中に去来していたのは,中平卓馬の写真論「なぜ,植物図鑑か」でした。中平卓馬がカラー写真を撮っていこう,と宣言した短いけれども,深く難解な写真論を,私は文字を追うのが精いっぱいで到底理解などできていない。だからその一節をここに引用することはまったくの見当ちがいで恥ずかしいことに違いないとは思うのですが,許してもらえれば。
 
 「動物はあまりになまぐさい,鉱物ははじめから彼岸の堅牢さを誇っている。その中間にあるもの,それが植物である。葉脈,樹液,etc.それらはまだわれわれの肉体に類似したものを残している。つまりそれは有機体なのだ。中間にいて,ふとしたはずみで,私の中へのめり込んでくるもの,それが植物だ。植物にはまだある種のあいまいさが残されている。この植物がもつあいまいさを捉え,ぎりぎりのところで植物と私との境界を明確に仕切ること。それが私が密かに構想する植物図鑑である。」(「なぜ、植物図鑑か」中平卓馬著 ちくま学芸文庫p.36より引用)
 帰路,最寄駅の構内に華やかなコーナーができていて,珍しい種類のチューリップに思わず吸い寄せられました。PENを持ち歩いていなくて,コンデジで撮影。

2016-03-07

2016年2月,東京半蔵門,「舞楽」公演

 2月の土曜日の午後,国立劇場にでかけて舞楽の公演を楽しんできました。舞楽は皇居の雅楽演奏会(2012年2014年の秋)ですっかり魅了され,今回の公演は情報を見てすぐにチケットを申し込みました。会場は満席,チケットは早々にsold outだったそうです。宮内庁式部職楽部による公演です。

 演目は左方と右方の両方が舞う振鉾(えんぶ),右方の四人舞の長保楽(ちょうぼうらく),そして左方の六人舞の春鶯囀(しゅんのうでん)の三曲。春鶯囀一具の上演はおよそ五十年振りとのこと。(ほう,という感慨しかないけれど。)
 
 プログラムによれば,源氏物語に「春の鶯囀るという舞,いとおもしろく見ゆる」と記され,光源氏がその一節を誰も真似できないほどに美しく舞う場面が描かれているのだそう。皇居の楽部で見るのとは違って,大きなホールの舞台の設えは平安の気分からはちょっと遠いのだけれど,優雅な舞と調べにうっとりしてあっという間に時間が過ぎていきます。
 
 休憩時間にプログラムの「舞楽とは 何のために舞われたのか」(南谷美保)を読む。「舞台芸術」として楽しんでいる私にとって,当時は神仏に奉納するというだけでなく,見る側にあった天皇をはじめとする高貴な身分の方々の立場を高めるという社会的な機能も果たしていたという指摘は瞠目でした。
 
 中国や朝鮮半島からの伝来に関する記述もとても興味深いものです。5月には管弦の公演があるそうなので,ぜひ出かけよう。
 
 帰路,半蔵門の駅へ向かう途中,民家の軒先にまるで野生のような(!)シンビジウムの鉢植えを発見。力強い…。