2019-03-24

2019年3月,埼玉北浦和,「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」

  久しぶりに北浦和へ向かう。埼玉県立近代美術館で開催中の「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」展はとてもスリリングだった。実現しなかった建築の展覧会である。展覧会イメージでは「インポッシプル」の上に線が引かれている。削除?それとも強調?
 
  建畠晢館長のインタビュー(ソカロ2・3月号)を読むと,「『インポッシブル』の語をタイトルに持ちながらも,一種の可能性への意識をはらんだ展覧会の構想になっているのです。(略)『ポッシブル』と緊張関係にある対の概念として『インポッシブル・アーキテクチャー』のタイトルがふと思い浮かんだわけです。インポッシブルは,ポッシブルに対する批評的オルタナティブであるといってもよいでしょう」とある。

 なるほど,あり得たであろうもう一つの建築史をたどることができる。入口はタトリンの「第3インターナショナル記念塔」で,最後はザハ・ハディドの「新国立競技場」だ。通常の(というべきか)建築展は,完成した建物の写真の展示が重要な構成要素だけれど,この展覧会にはそれがない分,見る者の想像力が試される。

 やはり最後のザハ・ハディドの展示は息が詰まるような緊張感に包まれている。建築家の早逝という悲劇も重なって哀しい。そうかと思えば,会田誠と山口晃の機知溢れる作品には思わず脱力。

 そして今展で一番ツボだったのは川喜田煉七郎の「霊楽堂草案」。山田耕作「音楽の法悦境」に書かれた理想の奏楽堂の実現案として立案されたものらしく,演奏には「絶対の孤独と沈黙」が必要だという理念に基づくのだという。

 実はこの展覧会を見る前日の夜,代々木上原でアドリアン・シュミットのピアノリサイタルを聴いた。すばらしいショパンだったのだけれど,およそ「孤独と沈黙」とは程遠い聴衆の態度が気の毒だったし,残念だったのだ。そんなわけで,「霊楽堂草案」に思わず喝采というわけ。 

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