写真美術館で2つ,写真展を見る。1つは「深瀬昌久 1961-1991」。深瀬昌久と言えば「鴉」が真っ先に思い浮かぶし,実家の写真館の家族写真などはつい,「それ以外」と考えてしまっていたけれど,その先入観が吹き飛ばされるような衝撃だった。もちろん,「鴉」の展示は凄み満点だが「遊戯」や「洋子」の写真から放たれる写真家の狂気じみた内面には足が竦む思いがする。
展覧会のイメージになっている《無題(窓から)》「洋子」に漂う被写体への眼差しは,どこか古谷誠一のクリスティーヌへの眼差しと共通しているものを感じて不穏な気持になる。やがて別離を選んだ,というキャプションを読んで,死を選ばなくてよかった,と心の奥の方で思う。
もう1つはコレクション展「セレンディピティ」展。セレンディピティといえば思わず外山滋比古先生を思い浮かべてしまう。今展では「日常のなかの予期せぬ素敵な発見」と丁寧に注釈されている。写真家たちに訪れたセレンディピティ,そしてそれを観るという観客の行為をこそセレンディピティな体験と呼べる展覧会。
牛腸茂雄に始まり,マイブリッジなどが並ぶのにびっくりして,石川直樹や本城直季にわくわくし,そしてやはり中平卓馬の展示に心躍る。写真美術館収蔵の「日常」というシリーズは,どの展覧会の出陳だったのだろう。初めて見るイメージばかりでもしかしたら愛知の展覧会のもの? ちょうど閲覧室が昼休みで調べることができなかった。近いうちにまたでかけよう。
恵比寿から中目黒に寄って久しぶりにカウブックスをのぞいた。店頭の均一コーナーで吉増剛造と鈴木志郎康の現代詩文庫を購入。雨が近付く目黒川。
帰宅して知人から借りた「写真史家・金子隆一の軌跡」(MEM 2022)を読了。潮田登久子の「写真史研究家の書架」をじっくり見る。意外と乱雑だな,とそんなことを思いながら写真史家という生き方に圧倒される。
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