本阿弥光悦,俵屋宗達,角倉素庵の三人の嵯峨本製作にかける情熱が,それぞれの独白の形で交互に綴られていく。絶対の「美」という一点に収斂していく三人の内面世界は,本能寺の変から朝鮮出兵へという時代の中でいかに強固なものだったのか,心に迫る読書を楽しんだ。
初読はかなり前なので,宗達の風神雷神にかけた情熱のくだりはほとんど忘れていていた。絵付師として現れた又七へ呼びかける一節から。「おれには,絵が乾坤の中心であり,すべては絵のなかに包まれていた。お前さんは絵が手段で,激情がおのれの実体だった。だが,おれには,絵が実体だった。絵の前では,おれはいなかった。おれは消えていた。激情は絵を成り立たせる胚珠に他ならなかった。」(p.360)
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