ヨン・フォッセ「朝と夕」(伊達朱美訳 国書刊行会 2024)読了。ヨハネスという一人の男が生まれ,そして人生を終える。第一部ではその生が,第二部ではその死が描かれる。端正な文章は終始,句点を持たない。人の一生とは連綿と続く時間の流れなのだと思わせる。
ヨン・フォッセは昨年のノーベル文学賞を受賞したノルウェーの作家。彼の信仰の軌跡は訳者あとがきに詳しいが,著作を読む上で知識として必要だと通読後に痛感した。
第二部では,年老いたヨハネスが先に逝った友や妻と出会う。時間や場所が混沌とした状況の中,ヨハネスの意識ははっきりしているが,傍観者としての読者は不穏な感覚ともに頁をめくることになる。そしてヨハネスがペーテルに導かれて旅立つとき,読者はああ,そういうことだったのかと腑に落ちると同時に,言葉を失うのだ。彼らの向かう世界と同じように。
「俺たちふたりはもうすぐ船に乗って旅立つんだ,と彼は言った/旅立つってどこへ,とヨハネスは言った/なんだ,まだ生きてるみたいな言い方だな,とペーテルが言った/どこにも行かないのか,とヨハネスは言った/俺たちが向かうのは,場所じゃない,だから名前もない,とペーテルは言った/そこは危険なのか,とヨハネスは言った/危険じゃないよ,とペーテルは言った/危険というのは言葉だ,そこには言葉がないんだ,とペーテルが言った」(pp.136-137)
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