2025-09-23

2025年9月,東京六本木,石川直樹 Ascent of 14 2001-2024,読んだ本,「最後の山」(石川直樹)

 フジフィルムスクエア企画写真展「石川直樹 Ascent of 14 2001-2024」を見る(9/18で終了)。2024年のシシャパンマ登頂によって,世界の8000メートル峰14座の完全登頂を達成したのだという。23年間をかけたその足取りが,ここにある。それらはすべて「自分の生の記録」だと写真家は言う。その「生」とは死と隣り合わせでもある。

 本人のトークを聞くことができた(大変な盛況ぶり!)。シシャパンマの1枚を指して淡々と,この黒い点はアメリカ人女性の隊で,この写真を撮った直後に雪崩で流されたのだ,と語る。他にもこの14座登頂については新刊「最後の山」(石川直樹 新潮社 2025)に詳しい。

 写真を撮るのも,記録を書き残すのも「忘れたくない。あの苦しさと喜びを忘れたくない。いくつもの出会いと別れを忘れたくない」からだという(写真展チラシにも新刊帯にも同じ文言がある)。その切実で誠実な姿に触れることができて,同時代に生きる幸せを感じる。今までもたくさん彼の写真展を見てきたし,これからも見続けるだろう。

 K2の7045メートルのキャンプで停滞中に。「下界とは異なる鮮明な夢を見た。(略)夢の手触りというか感触のようなものが,街で眠っているときよりも具体的で,妙な感覚がある。現実と幻のあいだを行き来しながら見る高所での夢は,いつも鮮やかで輪郭がはっきりしている。眠りが極端に浅いからだろうか。」(p.79) 
 
 最後の遠征中に。「重さが苦しさとなって跳ね返ってくる高所登山において,小ぶりな岩石ほどもある中判カメラと,予備を含めたフィルムの束を持っていくようなバカげた登山者はいない。ぼく自身,何度も捨てたくなったが,『登山者としてではなく,写真家として登っている』という思いがそれを押し留め,どうにか頂上までカメラとフィルムを持ち上げてきた。(略)空気の薄い環境で,朦朧とした意識の中,確かに自分が向き合った風景をぼくは忘れたくない。記録したいのである。」(p.161)

2025年9月,神奈川新百合ヶ丘,「六つの顔」

  川崎市アートセンター映像館で映画「六つの顔」を見てきました。映画は記録に残さないこともしばしばだけど,これは忘れないように。

 野村万作師。94歳の今も現役の舞台「川上」が収録されています。万作師の狂言は何度か見たことがありますが,舞台上のカメラワークは見所から見るのとまったく異なる世界を楽しむことができて,感激。滑稽な狂言とは異なる,美しい夫婦愛の物語にも胸を打たれます。奈良の川上村の原風景も美しい。

 言葉を選んで語るインタビューも心に残ります。父の萬蔵師の俳句「ややあってまた見る月の高さかな」を引いて,まだまだ上を見続ける姿勢は厳かです。萬斎師の強く優しい妻ぶりや,思わず裕基君と呼んでしまいたくなる若き才能の,眼を見張る芸も素晴らしい! これぞ至高の芸道映画と言えるのでは。

2025-09-22

2025年9月,東京千駄木,東京2025世界陸上

  熱狂の9日間が終わりました。3日目のイブニングセッションのチケットが取れて見てきました! 国立競技場は初めて。東京五輪のチケットが取れてたけど無観客だったし,サッカーはもっぱらDAZN観戦になってるし。で,競技場に到着して座席を探すとおお,2層でもこんなに近い。そしてスタジアム全体の異様な盛り上がり。日本選手の応援の声援は地響きみたい。

 お目当ては3000メートル障害決勝。スタート直後に1枚写真を撮って,あとは目に焼き付けてきました。三浦選手はラストが残念だったけど,次があるさ! 順天堂の新人駅伝メンバーの頃から応援してるので,親戚のおばさん気分です。

 そしてすごいニュースになった棒高跳び。生のデュプランティス選手を見たよ! こちらもものすごい盛り上がり。 

 つくづく思うのは,人間の身体の不思議なこと。100メートルを9秒台で走るとか,棒1本で6メートル30センチのバーを越えるとか。その瞬間,肉体に宿る精神はどこを,何を見ているのだろう。肉体を離れた高いところ(私が座っていた座席のあたり?)から俯瞰してるのだろうか,とかそんな箸にも棒にもかからないことを考えてしまいます。
 どこかの古書市で見つけたこんな1冊を読んでみようかと思っているところ。「空から女が降ってくる」(富山太佳夫 岩波書店1993)。

2025年9月,東京六本木,深瀬昌久「洋子|遊戯」

 

 ミッドタウンのフジフィルムスクエア写真歴史博物館で深瀬昌久の写真を見る。2023年の東京都写真美術館の大規模な展示でもこのシリーズを見たのだが,その時にも感じた写真家の狂気じみた眼差しが怖ろしい。怖ろしくて映画館に行けなかった『レイブンズ』をやはり見てみようか。配信なら自宅で見れるのだし。

 と場で黒マントを纏って躍る洋子。その後10年間結婚生活を続けるが,「10年もの間,彼は私とともに暮らしながら,私をレンズの中にのみ見つめ,彼の写した私は,まごうことない彼自身でしかなかった」(「救いようのないエゴイスト」『写真家100人 顔と作品』1973年)と綴ったという。(展覧会チラシより)

 2023年の展示のときには気づかなかったが,洋子は金沢出身なのだという。結婚生活の後半,謡曲や仕舞の稽古に打ち込んでいたといい,その精神風土にシンパシーを感じる。狂気の人に惹かれたという事実も含めて。

2025-09-09

2025年9月,龍岩素心の開花

 あまりの暑さにすっかり手入れを怠り,もはや命尽きて(?)いるのではと心配だった龍岩素心。今頃たった二輪ですが開花しました。ほっとしました。スマホでの撮影がどうにもうまくいきません。重いカメラはもう持ち歩くのがしんどいので,スペックの高いコンデジがほしいと思うこの頃。

2025年8月・9月,東京上野・京橋・乃木坂,「スウェーデン国立美術館素描コレクション」・「彼女たちのアボリジナルアート」・「二科展」

 ここしばらく展覧会の記録を残していなかったので忘備として。国立西洋美術館で「スウェーデン国立美術館素描コレクション ルネサンスからバロックまで」展を見てきました。海外で所蔵されている素描作品を日本で公開するのは難しいとのことで,同館の素描コレクションを日本でまとまって見れるのは初めての機会だそう。眼福でした。

 おお,デューラー! レンブラント!という感じで,まさに巨匠の手元の動きの感触を楽しんでいる感覚。イタリア,フランス,ドイツ,ネーデルランドの地域別の4章構成になっています。印象に残る作品がたくさんありましたが,雀や馬や犬など身近な動物たちが主役に収まっているのが楽しい。あと,コスチュームのデザインと考えられるらしい「蛙男」なんていうのも。 


 アーティゾン美術館では「彼女たちのアボリジナルアート オーストラリア現代美術」展を見ました。アボリジナルアートを見るとき,キーワードになるのは「脱植民地化の実践」であり,「そしてそれがいかに創造性と交差」しているのかということ(チラシより)。

 確かに7名と1組の女性アボリジナル作家の作品はどれも単純ではなく,多面的な様相を見せるものでした。イワニ・スケースの「ガラス爆弾シリーズ」。マリィ・クラークの顕微鏡写真の連作。タイトルは「私を見つけましたね:目に見えないものが見える時」。

 9月に入って,国立新美術館では第109回二科展を。坪田裕香さんの「water in the bottle」のシリーズ。不思議な形態と色彩のバランスが面白く,「これは何?」という疑問をねじ伏せる迫力があります。根木悟さんの「on the corner」。山岡明日香さんの「OTOWA POND」は奥村十牛の「醍醐の桜」の本歌取りに見えてしまうのは私だけだろうか?