2025-10-09

読んだ本,「文学は何の役に立つのか?」(平野啓一郎)

 平野啓一郎の新刊「文学は何の役に立つのか?」(岩波書店 2025)読了。この一冊が丸ごと文学の意義を思索する書だと思って心して手にとったのだが,冒頭の一篇「文学は何の役に立つのか」という講演録の後はさまざまなエッセイや書評,講演などで構成されている。大きな三つの章立てはⅠ.文学の現代性,Ⅱ.過去との対話,Ⅲ.文学と美。

 どの一つ一つも深い思索の沃野を堪能できる。タイトル通りの深い命題を著者の導きで学ぶというより,平野啓一郎の思考の断片を辿って楽しく読み通した,というのが正直な読後感だ。

 とりわけ今年はあちこちで三島由紀夫について考える場面が多いので,「文学は何の役に立つのか」の中で「共感できない作者について考える」として三島について語っている部分はとても興味深く読んだ。「ああいう小説,ああいう登場人物を書いた小説家が,なんでああいう最期に至ったのか,それが無くて最初から拒絶反応だと,俺とは考え方が違う,というだけになってしまうんですが,むしろ文学というのは作品を通じて,共感できない作者のことを考える,という一つの手立てにもなっている。」(p.31)この後に「金閣寺」の「認識か,行動か」という二者択一が「何か変」と続けるくだりにはなるほどと深く共感する。

 「Ⅲ.文学と美」は著者の「カッコいい」という審美的判断基準に関する言説がとても面白く,とりわけ森山大道の写真という「カッコいい」の最上級のようなアートについて論じる「二度目の『さようなら』はなかった」から。「何故,何が,『カッコいい』と感じられているのか? それは全体的に黒くて,何となくニヒリスティックな雰囲気だから,というだけではないはずである。/なるほど,すべての被写体を『等価』に眺める森山氏の写真に,ある種のニヒリズムを認めるのは,必ずしも見当違いではないだろう。被写体は,色彩を剥奪されて,光と影だけの姿に裸にされている。(略)しかし,その作品を魅力的にしているのは,やはり森山氏自身の意図に反して,そこはかとなく漂う情緒であろうと思う。それは甘く融け入っている情緒というより,自責的な矛盾として,何かが引っかかっているという風な現れ方の情緒である。」(p.269-270)

 

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