「薤露行」は「吾輩は猫である」と同時期に1週間で書き上げられたという旧仮名遣い・雅文体の短編で,タイトルの意味は「挽歌」ということ。マロリー「アーサー王の死」とテニスン「シャロットの女」,『国王牧歌』中の一篇「ランスロットとエレーン」を典拠にしているものの,まったく別の物語である,と序文でわざわざ前置きをしています。ここではあくまで「シャロットの女」の世界をたどることにして,物語の筋やマロリー,テニスンとの関連はまた機会をあらためて。
展示されていたWaterhouseの「シャロットの女」はこの場面を描いたもの。「シャロットの女は眼深く額広く,唇さえも女には似で薄からず」(「薤露行」より引用)という描写はまさにラファエル前派の描く女の姿そのもの。「『…わが末期の呪を負うて北の方へ走れ』と女は両手を高く天に挙げて,朽ちたる木の野分を受けたる如く,五色の糸と氷を欺く破片の乱るる中にと仆れる」(「薤露行」より)というシャロットの最期の姿は「宿命の女」を暗示するかのようです。
「『薤露行』の比較文学的研究」という副タイトルの「漱石とアーサー王伝説」(江藤淳著,講談社学術文庫)を繙くと,第7・8章「漱石と英国世紀末藝術」でまさにロンドン滞在中の漱石とラファエル前派の作品との出会いが詳述されています。ただ,「シャロットの女」について,漱石が強く影響を受けた塔の場面の図版はホルマン・ハントやロセッティの作品を挙げていて,展示されていたリーズ市立美術館蔵のWaterhouseの作品には触れていません。
(別の場面(テニスンの詩による,シャロットの女が舟に乗ってキャメロットに向かい,歌いながら息絶える場面)を描いたTate所蔵のWaterhouse「シャロットの女」については,実際にTateで見たであろうという論拠とともに図版が掲載されています。)
このあたり,「漱石と美術世界」展にリーズ市立美術館蔵のWaterhouseの塔の場面が展示されていた経緯は江藤淳以後の研究の成果なのか,不明です。図録を購入すればよかった。芸大図書館など行く機会があれば調べてみたいです。
ところで蛇足ながら,この江藤淳著の「漱石とアーサー王伝説」は学位請求論文(1975)の復刻版で,旧仮名遣いのために写真製版によって文庫化されたもの。文庫サイズで読むには活字がとにかく小さい。もともとの漱石の短編も,手引きとなるべきこの本も読むのに一苦労でした。
暑い暑い日が続く中,脳みそフル回転で,寝苦しい夜にも取りつかれたようにページを開いて,かなりぐったり。展覧会で見たWaterhouseの1枚は,どうやら私にとっても「魔性の女」だったみたい。
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