2014-12-31

2014年12月,京都(3),「英国叙景」展,南座

  京都駅からJRで15分ほど,大山崎山荘美術館で1月4日まで開催中の「英国叙景 ルーシー・リーと民芸の作家たち」展を見てきました。

  この美術館を訪れるのは2回目。以前は真夏だったので,まったく別の顔を楽しめました。煙突のある民家や,美術館の門燈など,山の中の別世界に迷い込んだようです。
  展覧会はルーシー・リーが8点,バーナード・リーチが21点,その他浜田庄司や河井寛次郎など,決して規模は大きくありませんが,丁寧な展示が山荘の雰囲気にぴったりで充実の展覧会。

 バーナード・リーチの燕文様の皿は飛び鉋の文様が美しい。1954年作となっていて,小鹿田に滞在したときの作だろうか?と想像します。静かな美術館の一室で,時間も空間も自在に旅をするのがことのほか楽しい。

 地中館ではモネの睡蓮やルオーの聖顔を見る。山手館では版画集「蘭花譜」をじっくり堪能。水彩かと思ってみていたら,木版画ということ。ロンドンのキューガーデンを訪れて洋蘭に魅せられた加賀正太郎(本館を建設した実業家)の,花に対する愛だけでは語れない,執念のようなものに圧倒されます。

 美術館をあとにして京都市内へ戻り,この日は南座で顔見世歌舞伎も鑑賞。初めての南座は,半分以上夢の中でした(泣)。中村勘九郎・七之助の「爪王」は迫力満点。まさにブラヴォーの圧巻の舞台でした。
 
 さて,2014年ももうすぐ終わりです。今年は身辺が慌ただしく,あまり更新できませんでしたが,日々思いがけずたくさんの方が見にきて下さいました。ありがとうございました。来る年が皆さまにとってよき年となりますように。

2014-12-28

2014年12月,京都(2),京都国立博物館 平成知新館

 京都国立博物館の平成知新館に行ってきました。この夏,鳥獣戯画が目玉の開館記念展は大変な人出だったらしい。年内最終日の夕方に出かけてみると,訪れる人も少なめでしっとり落ち着いて雰囲気満点です。
  谷口吉生設計のこの建物,東京国立博物館の法隆寺宝物館をそのまま引き伸ばした感じ。入口の池までそっくり。同じ建築家に依頼してテイストを揃えるのは筋が通っている(?)と言えばその通りだけど,これが博物館建築のスタンダードである!と言わんばかりの建築家のエゴみたいのがちょっと鼻につく。

 気を取り直して3階の考古・陶磁室から順に2階の絵画を回って1階へ。彫刻・書籍・染織・金工・漆工と特別展示室があります。ここのところ,漆の美しさに惹かれているので,南蛮漆器と紅毛漆器を特集した漆工の部屋でうっとり楽しみました。IHSのマークが入った書見台は,伝統美と西洋の融合がそのまま500年近く「目新しさ」を失っていないとでも言えばいいのか,現代の日本人の眼から見ても,とてもモダンな美しさです。

 ちなみに南蛮美術でよく目にするIHSはIesus Hominum Salvator:「人類の救世主イエス」の頭文字ということ。クリスマスを控えた古都の夕暮はとても静か。にぎやかで華やかな都心を離れて古都で過ごす選択もありだな,としみじみ。

2014-12-26

2014年12月,京都(1),「あなたが選ぶ高麗美術館の美」展

 待望の冬休み。ロンドンに行きたいなあ,とか韓国の博物館・美術館めぐりをしたいなあとか漠然と考えていたのだけれど,体力も気力もなくて(それにこの円安だ。。)京都へ2泊3日の旅に行ってきました。大山崎山荘美術館の「英国叙景」展と高麗美術館の企画展,京都国立博物館の平成知新館,それから南座の顔見世などなど。

 お昼前に京都に着いて,まずは高麗美術館へ。秋の企画展「あなたが選ぶ高麗美術館の美」展の最終日です。コレクションから主要な作品を展示して,観客にお気に入りベスト3を選んでもらい,次年度の名品展の企画を構成するという趣向の展覧会です。

 展示の数を増やすために解説のボードは省略しているとの断りが掲示してあります。畢竟,観客は作品そのものとじっくり対話することになります。これがかなり難しい。
  「好き」が唯一の基準になるはずですが,所蔵目録でしか見たことがなかった作品の前では,あ,これが本物か!と感激したり,やはり高麗青磁や李朝白磁は外せないし,となったり。

 さんざん悩んで3つ選びましたが,「選ぶ」という行為の楽しさ・難しさを実感した時間となりました。ちなみに第1位は朝鮮末期の「墨蘭図」(金應元)。2009年に静岡県立美術館まで見に行った「朝鮮王朝の絵画と日本」展に出品されていた作品とそっくりで,もしかしたら高麗美術館から貸し出されていたのか?と思いましたが,帰ってから同展の出品リストを見たら李是応作の別の作品だった。好きな理由に「再会できて嬉しいです!」とか何とか書いちゃった。かなり恥ずかしい。

 美術館の入口の羊を来年の年賀状に使おうと思って撮影したものの(今頃),ヘンテコな写真になってしまって断念。ここに載せておくことにします。

2014-12-20

2014年12月,東京竹橋,「奈良原一高 王国」展

  一気に冬がやってきて,背中が丸くなる日々。竹橋の近代美術館で「奈良原一高 王国」展が開催されています。北陸に大雪をもたらした寒波の一日,東京の冬の空。
 
 奈良原一高は7月に島年県立美術館で「スペイン・偉大なる午後」を見たばかり。たしかその時に,「王国」からも数点出展されていた気がします。この修道院のシリーズをまとめて見てみたいと思っていたところだったので,とても嬉しい。
 
 トラピスト修道院(北海道)で撮影した「沈黙の園」と,和歌山県の女性刑務所で撮影した「壁の中」の二つのパートで構成された「王国」は,1958年の発表というから,半世紀近く前の作品ということ。
 
 被写体の好みで言ってしまえば,「沈黙の園」に圧倒的に惹かれますが,どちらも外部の世界とはまったく遮断された空間です。
 
 展示解説によると,奈良原一高は「(略)ともに閉ざされた壁の中の世界…、そのような壁は日常の心の中にもとらえがたい疎外の感覚となって介在していて,当時の僕はそのような自分の内部にある不安と空しさをこの「王国」の場をみつめることによって超えようとしていた」(「20年目のあとがき」(1978)より孫引き)のだと言う。
 
 時間を超えて,今,これらの写真がまったく古びずに観る者の心に迫ってくるのは,「日常の心の中のとらえがたい疎外の感覚」そのものが,人間の生につきまとうなかば必然的な感覚であるからに違いないのだろう,と展示室の片隅でぼんやりと考えていました。
 
 とりわけ興味深かったのは,修道院の建物の窓や開口部を,内側と外側からそれぞれ撮影して並べて展示した一連の写真。そこに人間が写っていてもいなくても,奈良原一高のカメラがとらえたのは人間の存在そのもの。そして写真家は写真集のタイトルに「王国Domains」と名付けたのです。

2014-12-14

2014年11月,東京都内,「東山御物の美」,「古代東アジアの漆芸」,「存星 漆芸の彩り」

 随分と間が空いてしまいました。吉田健一がこんな風に書いています。そのまま言い訳に引用させてもらおう。「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのでなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。」(「時間」吉田健一著,講談社学芸文庫,p7)
  11月にでかけた展覧会を三つ,忘備録として。振り返ると,まるで連想ゲームのように導かれていった感じ。何に?それを「美の神様」と言ってしまいます。

 まず,三井記念美術館「東山御物の美 足利将軍家の至宝」展。週替わりで目玉展示があり,私は「桃鳩図」など徽宗(南宋)の中国絵画を楽しみに展示終盤に訪れました。大らかで繊細。水墨画の様式美に宿る「時間」の流れに,ただただ呆けたように立ち尽くします。

 で,同じ会場でやはり南宋の堆朱を見てノックアウトされる。文様の一つ,「屈輪文」の神秘的な美しさ。中国の漆芸はいろいろ見たつもりでいたけど,文様の名前は知らないものばかりでした。クリモン,クリモンと覚えて外へ出て,日本橋から神田方面へ向かいます。
  次に神田錦町の天理ギャラリーで開催されていた「古代東アジアの漆芸 東洋の美」展を見ました。南宋の時代から,気の遠くなるような時間をさかのぼって古代中国漆器を堪能。春秋戦国時代の逸品がそろい,これはまったく未知の世界でした。帰路,思わず神保町へ寄って関連書を探す。源喜堂で「漆で描かれた神秘の世界」展図録(東京国立博物館,1998)を発見。冬休みにじっくり勉強してみよう。
  さて,その翌週には上野毛の五島美術館にでかけて「存星 漆芸の彩り」展を見ました。これはまた宋・元の時代に戻って,茶人たちに珍重された唐物の中から「存星」と呼ばれた漆芸を集めた展示です。室町時代に「稀なるもの」と呼ばれたという「存星」とは一体何ぞや,という分類・解釈についての丁寧な解説を辿りながら,日々の喧騒とは無縁の時間を楽しんだのでした。美術館の入口で。晩秋の空の色はまだ冬の色を迎えていない。