2015-01-12

読んだ本,「通りすがりの男」(フリオ・コルタサル)

  「通りすがりの男」(フリオ・コルタサル著,木村榮一ほか訳 現代企画室1992)を読む。11編の短編が収められている。どの短編にもコルタサルの描く現実と非現実が交錯する不思議な世界が描かれ,読者はどこか遠くへと運ばれていく。
  タイトルを見ただけで震える「あなたはお前のかたわらに横たわった」。「あなた」と「お前」の間に流れる時間が捻じれる。「何が区切りなのだろう? 何が本当に区切りになるだろう?」(p.72)という問いがコルタサルから投げかけられる。その答えを教えて,と頁を繰りながら泣きそうになる。

 そして「ソレンティナーメ・アポカリプス」。島の風景を写したスライドを映写しながら,突然画面に現れた少年の姿に愕然とする「私」と読者である私。その少年の額には死刑執行人の発射したピストルの弾道の穴が開いているのだ。少年はエル・サルバドル革命派内粛清に斃れたロケ・ダルトン!
 
 「なおも見続けた。正気の沙汰とは思えないあのような事態に直面して私にできることと言えば,ボタンを押し続けることだけだった。(p.96)」「私はスライドの入ったトレーを動かし,ゼロにセットし直した。自分でもよく分からないある限界を越えてしまうと,どうすればいいのか,なぜそんなことをするのか分からなくなってしまう。(p.97)」

 この独白はコルタサルの小説を読む私の独白と何ら隔たりはない。なおも読み続けるのだ。正気の沙汰とは思えない世界に直面して,私はページを繰り続けることしかできないのだ。

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