2026-05-31

2026年5月,神奈川川崎,東京交響楽団・川崎定期演奏会

撮影可のカーテンコールで。
 東京交響楽団の定期会員に申し込んで,ミューザ川崎に定期演奏会を聴きに行く。今年は年間5回,楽しめるのがうれしい。ソロ客演の顔ぶれが豪華で(8月は角野隼斗,10月はガルシア・ガルシアのピアノ,12月は宮田大のチェロ),個別にチケットを取るのに神経を使わなくてすむ。それだけでもラッキーというもの。

 初回のこの日は翌日の音楽監督ロレンツォ・ヴィオッテイの就任披露特別演奏会と同じプログラムでR.シュトラウス「4つの最後の歌」とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」という構成。

 歌曲はマリーナ・レベカのソプラノが圧巻。プログラムの歌詞対訳(広瀬大介訳)がとても助かる。4曲のうち3曲がヘルマン・ヘッセ,1曲がアイヒェンドルフの歌詞による。シュトラウスの音楽での「遺書」というこの歌曲,『春』の「夜明け前の墓の中で/長いこと夢見たのは/あなたの樹々と青い空」で始まり,『夕映えの中で』の「さすらいにも飽き果てた/これが死というものか」で終わる。美しい響きにうっとりするけれど,音楽とは芸術とは,生と死すなわち生命の体験なのだと改めて気付かされる。

 そして休憩後のラヴェル「ダフニスとクロエ」はディアギレフの依頼を受けて作曲された音楽。合唱付きの演奏だが,この合唱には歌詞がない。楽器の一つという扱いなのだろうか,前半の歌曲に続いて,人の身体から発せられる深い響きに震える。最終幕の〈全員の踊り〉のオーケストラの熱狂。

 プログラムの「初演」の項目に「1912年6月8日パリ(シャトレ劇場),ピエール・モントゥー指揮,美術・衣装はレオン・バクスト,振付はミハイル・フォーキン,配役はヴァスラフ・ニジンスキー(ダフニス),タマラ・カルサヴィナ(クロエ)」とあるのを見て,思わずバレエ・リュスの公演を目のあたりにしているような錯覚を覚える。まるで映画を見るように。

 帰宅して三浦雅士「バレエの現代」(文芸春秋),「バレエ入門」(新書館)を開く。バレエの舞台を見たわけではないけれど,「ある意味では,踊ることは演奏することであり,演奏することは踊ることなのだ」(「バレエの現代」p.40)という一節などを深く実感した一日だった。

2026-05-12

読んだ本,「無意味の祝祭」(ミラン・クンデラ)


  「無意味の祝祭」(ミラン・クンデラ 西永良成訳 河出書房新社 2015)読了。2023年に他界したクンデラが「無知」(2003)以来10年ぶりに2013年に発表した小説が2015年に邦訳されたもの。訳者解説は巻末ではなく,出版社のメルマガの形で読むことができる。クンデラが自身の小説には本文以外の要素をつけることを認めない方針だからという。これまでの単行本や文庫本にはいずれも解説やあとがきが付されているので,この小説に限ってということだろうか。

 その解説によれば,これはもともとフランスで15-6世紀に流行した世俗演劇である「阿呆劇」というジャンルなのだという。たしかに,小説らしいストーリー展開というより,上機嫌を求める登場人物たちの無責任で奔放な(しかし無意味ではない)雑談によって構成されるユーモア劇のよう。

 そして読者はクンデラの筆に導かれて一篇の小説を読み終えるわけだが,最後にこんな台詞に邂逅してがつんとやられる。そしてこれぞクンデラの小説を読む愉悦であると再確認するのだ。

  「ねえ,きみ,無意味とは人生の本質なんだよ。それはいたるところで,つねにわれわれにつきまとっている。残虐行為,血腥い戦闘,最悪の不幸といった,だれもそれを見たくないところにさえも無意味は存在する。これほど悲劇的な状況のなかでも無意味を認め,それをその名で呼ぶにはしばしば勇気を要する。しかし大切なのは,それを認めることだけではなく,それをつまり無意味を愛さなくてはならないということだよ。無意味を愛するすべを学ばなくてはならないということだよ。(略)無意味は叡智の鍵,上機嫌さの鍵なんだから。」(p.136)

2026-05-09

2026年4月・5月,東京上野毛ほか,展覧会,観劇,映画の記録

 4月からGWにかけての記録をまとめて。五島美術館では「名品を彩るアンティーク・テキスタイル」展を見る。「古裂」とは言わないことに新鮮味を感じた展覧会。美しいインド更紗に目を奪われる。またインドに行きたいなあ,が展示とは無関係だけど一番の感想。

 國學院大學博物館では「和の硯」展を見る。日本の硯約200点が惜しげもなくというか,ずら~と並ぶ圧巻の展示。美術館なら代表の逸品を数点,という展示の仕方もあるだろうけど,これだけの質量を以て迫力十分に迫ってくるのも,なんだか感動してしまう。文房四宝の参考展示としての現代の水滴も面白かった。

 4月の観劇・観能は歌舞伎座に右近と真秀の連獅子を幕見席で見る。国立能楽堂では定例公演「熊野」と狂言「鶯」を見る。月間特集が「下村観山と能」ということで,アフタートークもあり。近代美術館の下村観山展は前期の弱法師を見逃してしまって,後期は体調すぐれず結局,行けなかった。のちのち後悔しそうだ。 

 GWは人出を避けて外出は近場のみ。渋谷ル・シネマでアラン・ドロン「サムライ4Kレストア」を見る。クールな殺し屋のドロンがあまりにかっこよすぎ。ノックアウトされてふらふらになって渋谷区ふれあい植物センターへ移動。こじんまりした温室にびっくり。まあ,都心も都心だから仕方ないか,と思いつつおいしい地元トマトのピザをいただく。

2026年4月,東京上野,「百万石! 加賀前田家」・東博能「羽衣」

 GWに突入する日に東博へ向かう。上野駅公園口からとにかく人が多い(私もその一人なわけで)。時間がたっぷりあるセミリタイア生活なのになんでそんな日に,と思われそうだけど,「百万石! 加賀前田家」展とタイアップの宝生流の能公演「東博能」のチケットを取ったのがこの日だったわけ。公演数が多い割に,あっという間に完売の公演も多くてびっくり。仮設舞台の能一番だけで自由席5500円はお手頃なのか割高なのか,不謹慎にもそんなことを考えてしまう。

 早めに博物館に到着して,公演の前にじっくり「百万石! 加賀前田家」展を鑑賞。これが質量ともにすごい展示で,東博の本気!を見た感じ(失礼)。国宝や重文がずらずら並ぶ会場に興奮おさまらず。「加賀前田家歴代」「百万石の文化大名」「加賀前田家の武と茶の湯」「天下の書府」「侯爵前田家のコレクション」の5章立ての展示で,鑑賞にはエネルギーの配分(?)が必要かも。「天下の書府」と,茶道具や能装束をメインに据えて堪能する。

 かなり体力を使ったものの,東博能「羽衣」も天井が高く反響する会場での観能は新鮮で面白い。能面も宝生流に伝わる古い面とのことで雅な時間を過ごす。シテは野月聡師,ワキは福王和幸師。

 東博では他にも見ごたえのある特集展示がいくつも。「アイルランド チェスター・ビーティー・コレクション 絵巻と絵本のたからばこ」は狩野山雪「長恨歌絵巻」や「酒吞童子絵巻」などなどが素晴らしく美しい状態でダブリンから招来されている。伊藤若冲「乗興舟」は昨年,エド・イン・ブラック展でも見たけれど,この摺りの美しさには驚くばかり。


  東博本館ではほかに特集展示「キリシタン関係遺品の保存と研究」も興味深く拝見。キリシタンが聖母マリアなどの聖像として信仰したとみられるのは,ほとんど本来観音菩薩像として造られたものだった,とのこと。明~清時代の美しい観音菩薩立像の数々を息をつめるように,見る。