2015-12-31

2015年12月,読み返した本,「供述によるとペレイラは」ほか(アントニオ・タブッキ)

 年内にアップしておきたい読書の記録として,アントニオ・タブッキの何冊かの本について。

 10月に「イザベルに」を読み終えてから,まずは「レクイエム」,そして「インド夜想曲」「遠い水平線」と読み返して「供述によるとペレイラは…」まで読み進めた。タブッキってこんなに面白かったのか,とあらためて思う。始めて読んだのは須賀敦子の著作に惹かれて彼女の訳した「レクイエム」を手にしたのがきっかけだから,15年くらい前のことかな,と思い出す。

 最初に読んだときは,どの物語もまるで推理小説のように展開を追うことに悦びを感じたのだけれど,再読してみてその細部に書きこまれた作家の仕掛けの一つ一つが深く心にささる。

 「遠い水平線」の死体の名前カルロ・ノボルディ。ノーボディ=nobody。「誰でもない」死体の素性を探索する番人スピーノの独白はこんな風だ。

 『彼は思った。ものにはそれ自体の秩序があって,偶然に起こることなど,なにもない。では,偶然とは,いったいなにか。ほかでもない,それは,存在するものたちを,目に見えないところで繋げている真の関係を,われわれが,見つけ得ないでいることなのだ。』(「遠い水平線」(白水Uブックス) p.131より引用)

 そして「インド夜想曲」では行方不明の友人を探してインドを旅するイタリア人の「僕」は神智学協会の会長と不思議な会話をかわす。『あなたのお友だちが具体的にどんな生活をしておられたか,私は知らないのです。(略)いろいろな偶然がうまく嚙合わなかったのか,それともご自分の選択でそうされたのか。他人の仮の姿にあまり干渉するのはよくありません。』(「インド夜想曲」(白水Uブックス)p.79より)

 その会長が「僕」を見送るとき呟いたのはフェルナンド・ペソアの詩の一節だった。アントニオ・タブッキを探す私の旅は「フェルナンド・ペソア 最後の三日間」へと導かれていく。まるでタブッキの小説をなぞるように。

 さて,なんとか年内に,と旅の記録と読書録をやっとアップできました。これで年が越せる(?)。。皆さま,どうぞよいお年をお迎えください。

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