「子犬たち」は集英社文庫の「ラテンアメリカ五人集」で既読だが,久しぶりに読み返してとにかく面白い。不幸な出来事に遭遇した少年とその仲間たちの「生」が「時間」そのものだと気づくとき,クエリャルの深い哀しみに心を打たれる。
「もうたくさんだ,子供みたいな真似はやめろよ,とチンゴロ,さっさと止めてくれ,こんな冗談につき合っている年はもう過ぎたんだ,僕たちは下りるよ。しかし彼は冗談どころか,何だい,君たちのバツグンのエースに信用がおけないのかい? いい年をしてそんなに恐いのか,(略)とすっかり常軌を逸していて,説得することができなかった。」(「子犬たち」p.62)
「ボスたち」は「ボスたち」「決闘」「弟」「日曜日」「ある訪問者」「祖父」の6つの短編からなる処女短編集。あとがき(1978年当時)にはリョサは必ずしも短編には向いていない,という記述があるが,どの短編も面白く読んだ。
「祖父」は若き日のリョサが見つめた「老い」の醜さと滑稽さが哀しい。老人が磨きあげた髑髏とは,そして彼の企てた計画とは一体何だったのだろうか,と老境の入口に差し掛かった読者である私は読みながらくらくらとしてくるのだった。
「炎に包まれた魅惑的な髑髏を目の前にして,老人は呆気にとられ,魔法にでもかかったかのように身動きもしなかった。ただ,レコードみたいに繰り返した。『油のせいだ,油の!』」(「祖父」p.189)
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