朦朧とした頭でデュラスの「廊下で座っているおとこ」(りぶるどるしおる14 書肆山田 1994)を読了。小沼純一訳。「大西洋のおとこ」を併録。
画面全体にもやがかかったフィルムを1本見終えたようだ。登場人物はおとことおんなとわたし。わたしはフィルムを見ている私なのか,それともフィルムの中でおとことおんなを見ているデュラス=もう1人のわたしなのか。
「わたしはみる、紫の色がやってくるのを,それが河口に達するのを,空が隠されるのを,巨大なものにゆっくりと向かっていくのを,止まるのを。わたしはみる、他のひとびとがじっとみているのを,ほかのおんなたちが,いまは死んでしまったほかのおんなたちが広大で深い河口に向かうやはり暗い稲田にふちどられた河のまえで夏のモンスーンがつよくなりよわくなるのをじっと見ていたのを。わたしはみる,紫の色から夏の嵐がやってくるのを。」(pp.42-43)
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