2026-04-21

最近の読書,コルタサル「遊戯の終わり」・建畠晢の長編詩


 国書刊行会のラテンアメリカ文学叢書の佇まいが好きで,古書店で見つけると購入している。コルタサルの「遊戯の終わり」は文庫で既読のつもりでいたのだが,書棚には見当たらないし,過去の読書記録にも見当たらない。未読だったか,と焦るような,未知のコルタサルを読めるわけだと喜ぶような,おかしな心理状態で読み進める。

 そしてこれはまさに読書の喜びだという実感にひたる。「続いている公園」や「夜,あおむけにされて」など,選集に選ばれて既読の短編もいくつかあるが,この「遊戯の終わり」は短編集として編まれたものなので,1冊を通してコルタサルの幻想世界をたっぷりと堪能。

 どの一つとして期待を裏切られない。とりわけ深く心に残ったのが「山椒魚」という一遍で,山椒魚に取り憑かれて毎日植物園に通う「ぼく」はやがて意識だけがそっくり山椒魚に乗り移ってしまう。

 その変身を,毒虫に変身したザムザと比較する訳者の木村栄一による論考がとても興味深く,読後の大きな刺激を味わった。ザムザが変身後もこの世界内に閉じ込められているのに対して,「ぼく」はすでにこの世界を抜け出して「水槽の中」の世界に身を置いている。つまり,この短編は非現実の世界の住人となった「山椒魚=ぼく」からの「別世界通信」(「コルタサル論」p.205)というわけ。

 これぞラテンアメリカ文学を読む愉しさだし,カフカと比較すると同時に思わず井伏鱒二の「山椒魚」を思い出したし,濃密な読書の時間を過ごした。「秘密の武器」(国書刊行会 世界幻想文学大系)も既読の短編がほとんどだが,短編集として通して読み進めているところ。

 ここのところ,読書の記録をちゃんと残していなかった。現代詩手帖の2月号の特集「イラン現代詩を読む」は私にはハードルが高かった。ちゃんとペルシャ文学の流れを勉強してからでないと。現代詩手帖1月号「現代日本詩集2026」は建畠晢氏の新作長編詩を読みたくて手に取る。「態度が形になるとき」というその一編は同名の古書店主とのやりとりが面白く,詩人の頭の中をのぞいてみたくなる。

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