2012-09-16

読んだ本,「冗談」(ミラン・クンデラ)

 ミラン・クンデラの「冗談」(関根日出男・中村猛訳,みすず書房,1992年版)を読みました。二段組み400ページ近い大部ですが,ぐいぐい引き込まれて一気に読み終え,ここしばらく読んだ小説の中で最高の1冊となりました。

 共産党体制下のチェコスロバキアを舞台に,主人公ルドヴィークが女友達にあてた葉書に書いた「冗談」が物語の発端となります。ルドヴィークが語り手になる章と,彼の人生と交錯する登場人物たちが語る章が交互に展開され,重層的な物語はやがて喜劇的な結末を迎える復讐劇へと収斂していきます。「冗談」と「忘却」がテーマのラヴ・ストーリー(著者まえがきより)です。

 「そう,きっとこうなんだ,と不意に思いあたった。大部分の人たちは二重に間違った信念によってだまされている。彼らは(人間,事物,行為,民族の)永続的な追憶とか,(行為,過失,犯罪,不正の)贖罪を信じている。これはどちらも虚偽の信念なのだ。真実はまさにその逆で,すべては忘れ去られ,何一つとして償われないだろう。贖罪(復讐さらには容赦)の課題を代行するのは忘却なのだ。だれ一人としてなされた不正の償いをする者はなく,すべての不正が忘れられてしまうのだ。」(本文p.338より引用。表紙裏カバーにも同部分が引用されている。)

 この独白の前には「時間」と「自分(ルドヴィーク)」の関係を「動いている歩道」と「その上を反対方向に向かって走っている人間」に例える場面があって,彼は「後ろにある奇妙なゴール」とは過去であり,自分は「眼は過去に向け,まったく無駄に走っている」と語るのです。自分より速く動く歩道の上を必死に逆走する姿を想像するとおかしくて,しかしそれは私自身の姿でもあると気付いてやがて哀しい。 

 ところで,紙をかけて読んでいたので,読み終えて表紙カバーのキャプションを見ておや,と思いました。装丁に使われているこの奇妙な鳥のつがいは「ロツィ族(ザンビア)の竪琴の頭部装飾」だそうです。面白い形。どのくらいの大きさなのだろう。ちなみにこの1992年版は絶版です。2002年にみすず書房のLettresシリーズとして刊行された版は装丁が変わっています。