2014-03-30

読んだ本,「盆栽/木々の私生活」(アレハンドロ・サンブラ)

 「盆栽/木々の私生活」(アレハンドロ・サンブラ著,松本健二訳,白水社 2013)を読了。現代ラテンアメリカ文学はこの訳者についていけばよい,とどこかの書評で読んだことがある。とは言え,アレハンドロ・サンブラについてはまったく知識もなく,この本は初の邦訳だという。
  特にドラマチックなストーリー展開があるわけではなく,淡々と綴られた物語は,2編とも「不在」が読み手に差し出される。何の不在?あるときはこれから書かれる小説としての「本」の不在。あるときは,幼い娘を継父のもとに残したまま帰ってこない「母」の不在。あるときは若い二人の男女がフォジャール(スペイン語)をしながらの「愛」の不在。

 いろいろな読みかたがあるだろうけれど,「木々の私生活」で幼い娘ダニエラが成長して継父の書いた小説を読むという虚構の場面が心に残る。

 「パラレルワールドなど存在しない。ダニエラにはそれがよくわかっている。彼女は凡庸を耐え忍んできた。私はあらゆる覚悟ができている,というのが何年か前のお気に入りの台詞だった。そしてそれは真実だった。彼女にはあらゆる覚悟が,どんなことでもする覚悟が,人が自分に与えようとするものは何だって受け取る覚悟が,言うべきことは何だって言う覚悟ができていた。言いたくないことを言っている自分自信の声を聞く覚悟だってできていた。だがもはや違う。今はもうあらゆる覚悟はできていない。今は自由だ。」(p.168より引用)

 書かれざる小説を読むことこそが,生きるということだと静かに語りかけてくる。いみじくも,第2部表題裏にはアメリカの詩人ジョン・アシュベリーのこんな一節が引かれていて,頭の中から離れない。「伏せられた本としての人生」。
 

0 件のコメント: