最初の「ジキル&ハイド」は首藤康之のソロで,舞台上には姿見よりも一回り大きいくらいの鏡。鏡で自分を見る=他者の視線の介入によって,自己が分裂していくというイメージです。しなやかで官能的な身体の動きは,観客のまなざしに寄り添うよう。そして次の瞬間には彼の身体は獣となって,観客の畏怖の視線を突き放す。観客である私は一瞬もその存在から目をそらせない。
「出口なし」はサルトルの戯曲を「ダンスと演劇の融合」という形で白井晃が演出した作品です。中村恩恵と,女優のりょうが出演しているのですが,りょうの細い身体は首藤・中村の造り出すイメージ世界に不釣り合いで,見ていてつらかった。
約1時間の舞台は鏡のない世界。3人の登場人物がそれぞれ他人の目を通して存在し,関係性を築いていきます。台詞は研ぎすまされていて,演劇というよりは台詞のあるダンスという印象です。ガルサン(=首藤)とエステル(=中村)の絡みは相変わらず官能的で,そこが地獄だということをしばしば忘れてしまう。イネス(=りょう)は二人を見つめて「あたしはたった一人で群衆なのよ」と吐き捨てるように言う。
物語のクライマックス,椅子の上に飛び乗ったガルサンの「地獄とは他人だ!」という叫び声がいつまでも耳と網膜に焼き付いて離れない。
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