2016-05-15

2016年5月,東京目黒,高島野十郎展

 目黒区美術館で開催中の「高島野十郎展 光と闇,魂の軌跡」を見てきました。蝋燭と静謐な小品を描いた孤高の作家という先入観を持っていたのだけれど,それは作家のごくごく一面に過ぎないということを認識した展覧会。

 まず,イメージしていた暗い画面に細密に描きこまれた静物画は初期に描かれたもので,渡欧時や国内を旅行して描いたたくさんの明るい風景画にはちょっと面食らってしまう。まばゆい陽光と色彩がきらめいています。

 そして,小部屋にまとめて出品されている蝋燭の小品は,すべて身近な人々への贈り物として描かれたのだそう。朝日新聞の展覧会評では,この背景に作家の「無欲な姿勢」が端的に示されている,と指摘しています。彼の画家としての生活は,経済的に貧窮していたわけではないようです。

 そうか,彼は「孤高の作家」ではあったけれど,決して「不遇の作家」ではないのだ,と自分の勝手な思い込みの誤りに気付きました。彼は孤高へと「追いやられた」のではなく,自らの生き方として孤高を「選んだ」のだ。

 最終章の「光と闇 太陽 月 蝋燭」の解説には「神秘的な精神性」が湛えられている,とあります。ここへ至る画家の人生とは,その意味とは。時代を追って丁寧に編まれた展覧会場をゆっくり歩きながら,絵を見ながら,考えてみる。

  少しくもやもやした気分で帰宅後,評伝などを検索したところ,どきっとする書名の評伝を見つけました。「過激な隠遁―高島野十郎評伝」(川崎 浹著 求龍堂 2008)。ああ,彼は「過激な」隠者なのか。これは読んでみたい…けれど,積読の山を前にちょっとため息をつく午後。

0 件のコメント: